巽忠春「ダイヤモンドは永久的な財産」

 『宝石と共に五十年』は巽忠春著、株式会社タツミ商店発行、有限会社少年社編集、昭和55年発行。函。序文は櫻井欽一、黒澤為重。

 巽は明治39年2月生まれ。宝石一筋で業界の生き字引ともいはれる長老。父の時代からの宝石業界の趨勢と自伝を記す。見出し・小見出し・略年表の構成がしっかりしてゐて、宝石業界のあらましがよくわかる。

 戦前の重大事件は昭和8年11月14日の寿賀野事件。寿賀野は関係者が検挙された、浅草の料亭の名。密輸入された宝石類の交換会が行はれ、23人が集まった。しかしこのやうな交換会は当時、正規では十割関税で、密輸入品が常識だった業界では秘密ではなく、犯罪だとは思はれてゐなかった。巽の留置場には神兵隊の隊長がゐたといふ。シリア生まれのフランス人、ヌーレ・タクラが検挙され、十割関税は業界の要請で撤廃された。

 戦中の回顧には昭和通商が出てくる。日頃、巽はダイヤモンドは万国共通の準通貨であり、物資に生まれ変はるものだと力説してゐた。昭和19年になってやうやくその趣旨が参謀本部に伝はり、昭和通商が全国から貴金属を買ひ上げることになった。巽は鑑定を請け負った。信用を失った日本円に代はって、その3倍分の物資が調達できたといふ。

 戦後の重大事件が日銀ダイヤ事件。巽は進駐軍が接収したといふ大量のダイヤの鑑定をさせられる。その責任者とみられるマレー大佐が、ダイヤを着服したとして軍法会議にかけられた。ダイヤは戦利品で、接収されたものとは別のものだと主張する大佐に対し、巽らは略奪品であると証明するために奔走する。

 戦後の輸入自由化に際し、ダイヤなどの宝石類は贅沢品なので認めようとしない役人に対し、巽がダイヤの価値を説く。 

ダイヤモンドや他の宝石類は辛うじて持ち帰れたのです。引き揚げ者にとっては唯一の財産でした。それを日本で換金して、暮しや家までも手に入れることができました。 

 

 一般に言われている切手やら古本などの希少価値物に何ができるというのですか。あれこそ一部の愛好家が自己満足するだけの品物です。しかしダイヤモンドは違います。何十万年、何百万年たとうが朽ちることのない、永久的な財産なのです。 

 ダイヤは贅沢品ではなく、換金できる資産。工業用ダイヤは製造業にも必要。古本などといふ一部の愛好家の自己満足品とは一緒にするなとおっしゃってゐる。