檜山御陵造営を請け負った大江功造

 『大正乙女』は清水光子著、生野重夫発行、昭和61年5月発行。西武百貨店製作。故人の一周忌に際して、身近な人々に限って配布された。時代や人の切り取り方が巧みで舌を巻いた。小説の原稿は段ボールいっぱいにあり、校閲も入ってゐたといふが原文のまま収録。小説は4編。

 「電車で会った女」は私小説風。主人公の乗る電車に急いで乗り込んできた一人の女。しかしどうやら誤乗車で、早く引き返さねばならないらしい。ところが電車はしばらく止まらず、用事に間に合ひさうにない。初対面の女と主人公との会話で、用事の内容や善後策について問答してゆく。四条大宮や淡路、京都の地名が出てくる。

 「弓張提灯」は明治時代の山科が舞台。少女の家は氷卸を商ってゐる。一家で氷の荷車を坂の上まで押す苦労、没落士族の父、奴茶屋の娘で商才に長けた母などが生き生きと描かれる。父は江州水口藩の家老、端山遼の息子。瑞山家の宝物が屑屋からアーネストに買はれたり、母が自転車の練習場を開業したりするところなどは話に広がりを与へてゐる。

 書名にもなってゐるのが「大正乙女」。題材や話の展開がよく練られてゐて引き込まれる。大江功造は奉公先の呉服屋を飛び出して上京。宮大工の下で修業し、皇居の造営では明治天皇を平伏して奉迎した。大江組の社長となり、宮内省御用達として檜山御陵の造営も請け負ふことになった。明治天皇が眠る桃山御陵がモデルだらう。そこに待ち受けてゐたのが地元の藤川組。緊迫する対決の場に現れたのが藤川社長の娘のお京だった。衝突を未然に防いだお京。大江は藤川組も協力して御造営をしようではないかと提案する。

「…このように立派な天子さまが、永久にお鎮まりになる陵だ。地元も他所者もない。国民全体がご奉仕するのが当然なのだ。…」

 お京の返答は意外なものだった。

「ハイ、宮内省のご用か何か知りませんけれど、陵の工事は、大江さんが請け合われたことで、藤川組とは別に関係のないことです。どうぞお気にかけずに、そちらの方でよろしいように…」

 大江は「この国の国民にして、上ご一人の御陵造営に携わることの光栄を思わない者があるだろうか?」と疑問を持つ。大江とお京の意見は、明治と大正の時代を反映するかのやうに、平行線をたどるのだった。

 「靴」は戦後間もなくの荒んだ世相を映したもの。靴の修繕の青年は、かたくなに一足しか受け取らす、直した方を届けてから、もう一足やることにしてゐるのだといふ。物資が不足した時代ならではの理由を知り、「私」は言葉を失ふのだった。