水谷川忠麿が書き残した河童の国の彼等

 『角』は奈良「角」の会編集、鹿鳴荘発行。天理時報社印刷。昭和33年7月発行の第3号は32ページ。表紙は棟方志功。奈良ゆかりの人物が1ページづつ随筆を書いてゐる。

 松本楢重は春日大社のリンゴの木のこと、蓮實重康は自身の小用譚。前川佐美雄は名前を川田順に馬鹿にされた思ひ出話。

 保田與重郎は「きもの」。「衣服の窮寛の度合は、民族の将来の体位にも影響する」と、民族にとって衣服の重要性を指摘。背広にネクタイ、ワイシャツ姿を好かないといって、保田が独自に考案した服を解説してゐる。背筋のくりを後ろへ抜いたのが自慢だといふ。着物のやうな形だらうか。ボタンの代はりにチャック。カラーは支那服のもの。各地の服を組み合はせたり改良したりしたもののやうだ。この文章は全集に収録されてゐて読めるが、実物の保田服(仮称)はどこかで見られるのだらうか。

 水谷川忠麿は「食生活のこと―春日山河童の国―」。水谷川は近衛文麿の弟。春日大社宮司。河童の国では梅雨の季節になると、老若男女が総出で竹柏樹の花粉を集める。それが彼らの主食だから。保存して花蜜酒を造り、マリンタタの祭りで三日三晩飲み続ける。彼らは清流の苔を好み、老人は水谷川のもの、若者たちは尾花川のものを喜ぶといふ。

 ここまで、河童の国の生活が短い文章の中に生き生きと描かれてゐる。泳ぎの得意な人たちや川辺に住む人たちのことを俗に河童といふので、人間だと思って読んでゐた。さういふ風習の地域があるのだと思ってゐたら、「彼等の大好物の一つは、山の大藪蚊の眼玉である」といって、採取の仕方や食べ方を書いてゐる。なんだかをかしい。いくらなんでも蚊の目玉を食べる人間はゐないだらう。

 やはりこの「彼等」とは、頭に皿があって甲羅を背負った、妖怪の河童のことではないのか。しかしさうはっきりとは書いてゐない。花粉を取ったり食料を分配したりと、社会生活を営んでゐる。胡瓜を食べたり尻子玉を抜いたりはしてゐない。あるいはサンカの別名として言ってゐるのだらうか。

 花粉採取のくだりでは「一人の懶け者も許さない」とあるので人間のことだと思った。ここが「一匹の~」だったら妖怪だと判断できた。ところが蚊の採取の解禁日の記述では、「彼等がこの日を待ちわびてゐるのは、丁度人間共が鮎の解禁を心待ちに待つてゐるのによく似てゐる」とある。彼らは人間ではないらしい。

 もう一度よく読むと、「春日山の河童の国」と冒頭にあるだけで、河童とは書かれてゐない。彼らを指すときはいづれも「彼等」と表記されてゐる。この「彼等」は何者なのだらうか。

 

 

・吉原憬『秋津教授、並行世界へ 歴史人物オールスターとシリウス星人との邂逅』読了。新幹線で移動中に何時の間にか並行世界に移動してしまふ導入部分はなかなか巧みな感じがした。聖徳太子のくだりは少々ご都合主義な気もしたが切り抜け方としては納得できた。電話や電車が民営化されず、地方も賑はってゐる世界だといふ設定もするする飲み込めた。しかしその後、元の世界の人物は並行世界では少し名前の違ふ誰々でこんなことをしてゐる、といふ解説が何回も繰り返されてうんざりしてしまった。数を絞って、新聞記事の引用やアナウンサーの音声を文字起こしする形式にするなど変化をつければもっと読みやすかった。歴史人物が一か所に集合するのも、同じ場所ではなく各地に散らばった彼らを訪問する形にすれば飽きさせず場面を変へられる。

 後半で宇宙人が登場するところから俄然持ち直した。爬虫類型宇宙人と日本神話を絡めたところなどはうまくいっていた。河童宇宙人説も出てくる。きさらぎ駅などの都市伝説やオカルトを下敷きにしたところは楽しめる人も多いだらう。憲法改正推進や女性の社会進出に否定的なところには反発する読者もゐることだらう。著者が理想とする社会を小説化して世に訴へた一冊。