新渡戸稲造「陛下は如何なることをお考へになるだらうか」

 『民間の節句 附民間信仰小史』は升味ゑきの著、教育研究会、昭和10年10月増訂再版。序文は下田次郎で、著者が岐阜高等女学校教諭として、また家庭を支へ、その上このやうな研究を成し遂げたことを称賛してゐる。研究の意義も説く。

科学よりも詩が事物のエツセンスを一層適切に表現することがある。それ故、古来の信仰や伝説や年中行事を一概に迷信だとか無意義だとかいつて唾棄すべきではない。その中には、案外に深い真理が籠つて居たり、人間の情意の要求を充たすものがある のである。

  升味は、「吾等がみ祖(おや)達」が現代人よりも優れた面があったことを指摘する。

彼等は神秘に対する感覚に於いて、吾々よりも遥かに勝れた羨むべき能力を持つてゐた。彼等の全生涯は新鮮なる驚嘆! 恰も小児の如き驚嘆と感激で埋められてゐる。 

  大嘗祭の項では、新渡戸稲造の文章を長く引用する。下田・升味・新渡戸に似たものが流れてゐることを思はせる。

そこで陛下は如何なることをお考へになるだらうか、恐れ多いことだが我々は其れを想像して見たい(略)皇統連綿として来つた潜在意識が、この機会に陛下の奥に残つてゐる御記憶が浮び出すであらうことは心理学者ならずとも想像出来ることである。(略)昔はかうであつたから 、この後はかうではないかといふところまで想像出来、そこではじめて、我皇祖皇宗から伝つた我が責任、我が職務は何であるかといふことを十分御自覚になることだらうと思ふ。それが大嘗祭の目的だらうと拝察される。

 新渡戸によれば、陛下は大嘗祭で、ご祖先からの潜在意識を呼び覚まされる。それは天皇としての責務を自覚させる作用を及ぼすのだといふ。

 

・樋口彰彦『江戸前エルフ』読む。困り顔の引きこもりエルフが御祭神。溶け込み具合が絶妙。狛犬にさりげなく羽が生えたりしてゐる。構成をいふと、短い話3つで1つの話になってゐる。それぞれでまとまりがありつつ長いストーリーにもなってゐるのが見事。社殿の内削ぎの千木は耳を模してゐるのだらうか。