北町一郎のユーモア小説「神様の引越」をめぐって

 『蚕糸の光』は全国養蚕販売農業協同会連合会発行。昭和30年1月号は第8巻第1号。杉浦幸雄の連載マンガ「おきぬちやん」、山岡荘八の連載小説「戦国佳人」、大原富枝の連載小説「三つの幸福」などが載ってゐる。

 面白く読んだのは北町一郎のユーモア小説「神様の引越」。挿絵は林一政。編集部によると思はれる一文に「神様の存在はいずこへ……恐妻家庭の織りなす微苦笑物語り」とある。

 若宮一八は、妻の建てた新築の家に引っ越した。翌朝、いつもと勝手が違ふ気がした。その理由は仏壇と神棚がないことだった。仏壇は荷物の中から見つかったが、神棚は行方不明だ。

「神様はどうしたのかい。」

「神様はお父さんの係よ。あなた、神棚をはずして、荷作りしたのでしょ。」

「確かにしたよ。」

「なら、推理は簡単ね。途中で落してきたか、風呂のタキ付けに使つたか、ホッホッホ。」

 笑ってゐるのは娘のミエ子。神経が狂ってゐるかといふほどの笑ひ上戸で、とても葬式に連れて行けない。

 新居は偶然にも神社の目の前。神様の代用として、その神社にお参りした。翌日は大雨で、家の前はぬかるんで水たまりがある。一八は傘を頭と首で挟んで拝礼した。

二階の窓があいて、ミエ子が顔を出した。

「二階からおがんだらいいわよ。よく見えるし、第一、雨にぬれないわよ。オッホッホ。」

 こんな調子で、一八は無宗教論者のやうなミエ子や妻君と面白をかしくやりとりをする。

 しかし家族で宗教観が違ふといふことは、深刻な事態に発展しかねない。喜劇が悲劇になってもをかしくない。この小説では神棚の代用として神社に参拝したり礼拝したりしてゐるが、本来は神棚が神社の代用なのではないか。目の前に神社があるならそこに参拝すればよく、あへて家の中に神棚を祀る必要があるのだらうか。

 神棚を祀るときに1階と2階のどちらがいいかで混乱する場面もある。ユーモア小説でありながら、神道神学上の問題を提起するものにもなってゐる。

 

 

 

・まどめクレテック『生活保護特区を出よ。』拝読。とても面白かった。1巻の1ページ1コマ目は神道国教化の授業風景から始まる。尋常でない導入だが、主人公のフーカはぼんやり聞き流してゐる。先生から、生活保護特区行きを告げられるフーカ。そこはマントラアーヤと呼ばれるところで、フーカはにいなめ荘で共同生活を送ることになる。

 マントラアーヤには字を読める人が少ない。「古本、火の焚きつけとかに使っちゃうの」。まともに働くこともできないフーカが、本を読める特技を生かして居場所を手に入れてゆくところに感銘を受けた。2巻ではマントラアーヤの神話や、にいなめ荘の住人の性格が明らかになってゆく。10月に3巻が出る。