三吉の母「古本一冊位取つたからつて」

 『子を観るは親』は前川康太郎著、昭和7年11月発行、愛護会本部・愛護会東京本部発行。家庭教育の重要性、不良児を生む家庭の実例などが載ってゐる。

 「古本一冊位ゐが何んですか」は古本の万引少年の話。各地の実例集から選んだもので、著者名は不明。街中で、10歳くらゐの少年が男に捕まってゐた。聞くと本を盗んだので交番に突き出すか殴って許すか、本屋の番頭2人で相談してゐるところだった。

 著者は少年から家庭事情や動機を聞き出してゐる。それによれば少年の親は大工で、学用品は買ってもらへるが書籍やおもちゃなどは買ってもらへない。小遣ひが足りない。友達の間では荒木又右衛門武勇伝が人気で、みんな持ってゐる。でも貸してもらへない。店先では番頭2人が居眠りをしてゐる。それで盗んだのだといふ。

 番頭にも聞いてみた。少年の挙動が怪しいことには気づいてゐたが、わざと狸寝入りをした。「ナーニ、この児の心をためして見たゞけなんですよ」

何と云ふ愚かな番頭達だ、この番頭達こそ、彼の将来を誤らしめる動機を与へたやうなものである。何故子供が盗まうとしてゐるのを救つてやらなかつたのだらう。

 番頭たちは分かったやうな分からぬやうな、「時々突拍子もない合打などをうつたりして」ゐたが、店に帰らせて少年を引き取った。

 少年の長屋を訪れた著者。32、3の女性が寝乱れた姿のまま出てきた。「(三吉が)人殺しでもやつたと云ふのですか」などと初めから機嫌が悪い。著者がこれまでのいきさつを説明したあとの返答に、三吉の家庭環境や母の価値観が端的に表れてゐるので、全文引用したい。

「よしておくれよ、不良に仕様と泥棒に仕様と私の勝手だよ。決して他人様のあんたのお世話にァなりませんからね、何んだねえ、高の知れた古本一冊位取つたからつて文句を云ふなら金を払へばお仕舞ひぢやないか、そんな事が重大事件なら此辺ぢや暮せないよ、おまけに子供ぢやないか、欲しいから盗むのは当前だ、盗ませる奴がよつぽど間抜けだからだ、此辺にやその位の事は毎日何千何百とあるから、お世話焼きしたけりや、弁当持で出て来て、飛び廻んなさい、この気楽とんぼめ、ちつたあ向ふ先を見てやつて来い――」

 タイトルに「古本一冊位ゐが何んですか」とあるが、実際はこんな穏やかな言ひ方ではなかった。これぞ罵詈雑言の悪態をつく三吉の母。突然現れて事情も知らず説教まがひの著者に対して、敵対心を隠さない。

 著者は更生の道の遠さを思ひ知っただらう。

 本書冒頭には不良学生原因統計の図も載ってゐる。はじめは下校途中の道草にすぎなかったものが、次第に不良化していく。第二期に学業放棄や飲酒喫煙と並んで、書籍売買といふのがある。書籍を売るのは家庭のものを勝手に持ち出すことかもしれないが、買ふのはどういふ意味なのだらう。盗品を買ったり転売の材料にしたりするのが駄目なのだらうか。書籍売買は不良のすること。