山本徳三郎「神はそんな窮屈なものでない」

 『壺中之楽 一名「絶対禁酒」反対論』は山本徳三郎著、岡山の細勤舎書店発行、大正10年5月発行。

 著者の序文に書名の由来が書いてある。もともとは「飲酒の心得、酒を清く飲む法」であった。これを見た太田といふ人が、もっと世間の人の目を引くやうにと現在のものに改めた。かつて本多静六の平凡な題名の文章を高山樗牛が『赤松亡国論』と改題したことで、世間に反響を巻き起こした。同じやうなことを狙って命名されたことを明かしてゐる。

 日本の禁酒運動はキリスト教徒らが明治初めから行ったもの。酒の害を挙げ、一滴も飲まないやうに指導した。著者はこれに反論する。もちろん飲みすぎは良くないが、適量なら人生を豊かにし、健康にもよい。適量とはすなはち、酒に苦みを感じるやうになったときである。

 キリスト教の教会批判、日本の国粋擁護にも筆が及んでいく。

日本国粋の清酒はなぜ悪魔の水で葡萄酒は神の血を分くる意味になるであらう。

 復活祭では葡萄酒を飲み、ドイツ系の牧師はビールを飲みながら聖書を講じるではないかといふ。

神の思召としてはまアまアそう絶対的に極端な事をやらないでもよいよと、肩をポンとお叩きになる位のものであらう。神はそんな窮屈なものでない。

 著者は東京に遊学した際には海老名弾正や内ケ崎作三郎からキリストの精神を聞いて感銘を受けた。無暗にキリスト教を嫌ふものではない。「基督の犠牲的精神と人道主義は日本の国粋である任侠の精神の高潮したものゝ様に思はれる」。キリストも任侠の徒だと親しみを寄せてゐる。

 禁酒論者には高名な学者たちがゐるから、その意見も正しいのかといふとさうでもない。肩書を信じてはいけないと、博士批判もする。

学術上歩一歩を進めたと云ふ事になれば其功労に対して博士号をやるので、何も全て全知全能と云ふ意味でない。其自巳[己]の研究せる専門に対しては何人よりも通暁して居るかも知れぬが、博士と云ふ称号に脅かされてオビオビするのは全く頭の古い人である。

 絶対禁酒の法案が議会に提出された場合のことを杞憂し、徹底抗戦の意気込みを示す。

吾輩は万事を犠牲にし官職を放棄し、可愛き妻子をも涙と払つて明治初年の熊本神風連を真似るではないが「神酒芳醇」の長旗を翻し、天盃の模型と、伊勢大廟の御神酒の空樽を先頭に振り翳し…

 と、国会前に馳せ参じると息巻いてゐる。なほこれより以前の箇所では絶対禁酒論者のことを清教徒たちと言って非難してゐる。かつて福本日南が神風連の蹶起者たちのことを描いた『清教徒神風連』を出版したが、著者はこの書名を思ひ浮かべなかっただらうか。