北条秀司がハルピンで出会った大野由紀子

 『枻 人間讃歌』は枻出版社発行。木偏に世でエイと読む。ファミリィ、フレンド、フィロソフィそしてフリーダムをテーマとする人間礼讃誌を謳ってゐる。隔月発行で昭和49年1月号は第2号。正誤表つき。特集は大満洲。現代ではなかなかこのタイトルはつけられない。執筆者たちは当然、実際の満洲を見聞し、思ひ出を語ってゐる。

 武藤富男は

背景を無視していたずらに自虐的になり、日本は満洲を侵略したと考えるのは、必ずしも正しくないと思います。

 と意見。条件が揃へば四十年後の満洲日本陸軍が居ない独立国か、日本領土になるか二者択一を迫られただらうとか、政策や運動も実を結んでゐただらうなどと、実現しなかった夢を語ってゐる。宗教についても、ユダヤ教キリスト教になったのと同じやうな現象が起きただらうといふ。

 浅草本願寺住職の本多賢純住職は、チャムスにあった弥栄村の思ひ出。師匠の田中舎身や頭山翁に頼み込んで渡満した。

 島田一男も満洲日報記者時代のことを語る。父が後藤新平の子分で同社の記者だったとある。甘粕の柔道、江連力一郎の日本刀、伊達順之助の拳銃が満洲三人男と呼ばれてゐて、彼らを含めた人物の短評を寄せてゐる。

 劇作家の北条秀司は「ハルピンで会った婦人」を書いてゐる。満洲には「内地では考えられないような人物」がブラブラしてゐた。大野由紀子(仮名)もその一人。大野さんは多額の機密費を使って、劇作の取材をする北条を接待し、小遣ひもくれる。20歳にも50歳にも見える。デスクにはゐなくて名刺も持たない。ロシア語は流暢。

「現実を知っていただくためには、恥部も視ていただかなくてはいけません」

そう言ってある夜は売春クラブへ連れて行った。

参加するやうにといふ勧めに抗ふと、大野さんに叱られた。「いったいこの人はどういう経歴を持つ婦人なのだろうか」。ウクライナの方から来たとか、凄い閲歴を持ってゐるとかいふ噂も耳にした。「しかし、どう見ても大野さんは高貴な教養婦人である」。