佐々木照山の元に寄宿した岩田愛之助

 中公文庫の『小原直回顧録』が積ん読になってゐたので、何故手元にあるのか見てみたら、阿部守太郎政務局長暗殺と大隈首相暗殺未遂の項があるからだったと思ひ出した。
 大正2年9月5日の阿部政務局長暗殺は、共に福岡出身の岡田満と宮本千代吉が実行した。
 事件の背後には岩田愛之助がゐて、岩田が寄宿して居たのが、例の田端の佐々木照山の家。二人は事件の前、この佐々木の家に岩田を訪ねてゐる。
 犯人隠匿では鬼倉重次郎、雲山真継義太郎も捕まってゐる。
 この真継、神保町で『日本仏教新聞』を発行してゐた。他にも右翼連と共に名前を見るが、活動内容があまり明らかでない。戦後も存命で、昭和38年9月5日に全生庵で暗殺事件関係者の慰霊祭を執行したといふ。
 大隈首相暗殺未遂は大正5年1月12日。99年前だ。主犯は福田和五郎二六新報編集長のほか、鬼倉、和田政吉、下村馬太郎。鬼倉は阿部局長暗殺から3年しか経ってゐない。爆弾は不発で、成功しなかった。
 計画では尾崎行雄法相、波多野敬直宮相、万朝報の涙香黒岩周六も襲撃対象だった。大正の血盟団だ。田中舎身、肥田琢司も連座した。
 ただし阿部局長事件に比べて大隈暗殺未遂は真剣味が足りないと、小原の評価は低い。
 
 ・かう寒いと駄句を捻らずにゐられない。
 
 親子来て 湯から上がりぬ 黙しつゝ
 御朱印や 少し離れて 眺め入る
 御守りの 病気平癒は 白ばかり