藤田一郎「天地万物は神造神作にあらず」

  

 『執中学派立教大意 執中学則略解 執中学派主義目的 執中学派々憲』は、表題の文書を一冊にまとめたもの。奥付なし。正誤表つき。「執中学派立教大意」は藤田一郎述、明治20年3月22日とある。

 藤田一郎が立教した執中学派について紹介されてゐる。執中学派は、藤田が古代の聖賢の説や宗教書を取り込んで打ち立てたもの。宗教の非科学的な部分を指摘し、人類の新たな行動哲学を明らかにしようとした。

学則の第一は「天地万物為自然之物」(目次では天地~、本文では地天~。)。「天地万物は神造神作にあらず」と論じ、聖書の教えは間違ってゐると主張する。地球には暑いところ寒いところなど、人類にとって無駄な地域が多すぎる。陸地と海の交通の便も悪い。「不備不整頓の構造」だといふ。天地万物は造物主、つまり神が造ったものではなく、自然にできたものだと論じる。

 人類以外に神がゐるといふのも間違ってゐる。優れた人間のことを神といってゐるだけだ。特に文字を発明したり、法律を作ったりして、公衆に大益をもたらしたものを神と呼ぶべきだ。

人類外に神明あり人類外に至尊ありと言と雖も文字なくんば之を如何せん文章なくんば之を如何せん

 第六則「文武人類自然之要器」でも、文について「天地万物を記録し古今各国興廃存亡の事跡を編纂し…至貴至便の要器なり」と、文の大切さを論じてゐる。

 事業としては、英国の万国仲裁及平和協会と平和主義で提携を模索して文書を交換してゐる。大日本執中学館や執中館分校の建築も計画されてゐる。

 学則は多岐にわたってゐる。30歳までは飲酒をしてはならない。早くに隠居してはならない。古代には仁徳天皇が35歳で即位し122歳で崩じるなどの例があるが、平安時代は子供のうちに即位し在位はわずか数年。これは仏教の厭世観による悪弊だと論じる。

 10年ごとに写真を撮るべしといふのもある。死後、子孫が喜ぶのだから、経済的に難しければ一生に一度でもいいから撮るのがいいといってゐる。

 葬祭法の決まりは詳しい。学派員は僧侶などに任せず、子孫で自葬すべきだとする。父母の遺骸を葬るのは子孫の本務だとしてゐる。

 

 

・『指名手配議員』鈴木信行著、集広舎、読む。著者の半生を、関係者の実名を挙げたり伏せたりしながら振り返ったもの。写真は義勇軍時代のものなど。会社回りのときの機関誌の購読料も載ってゐる。看守が野村秋介の本を渡してくれて、著者の進路に影響してゐる。韓国関係は筆が乗ってゐるが、党内の内紛の部分は重苦しい。周辺の人物が持ってゐる「一瞬の狂気」を描くところが生き生きとしてゐる。