高須芳次郎「日本主義は差別を撤廃する」

 『人生創造』は石丸梧平の個人誌。昭和9年6月号、通巻123号は満拾年記念号。本体が124ページで、名刺広告が16ページ付いてゐる。

 中には、人類愛論をテーマにした座談会が収録されてゐる。参加者は入野寅蔵、本荘可宗、友松円諦、大槻憲二、上司小剣、加藤朝鳥、川路柳虹、高須芳次郎、松原寛、江部鴨村、浅野研真、三浦関造、籾山半三郎、石丸。石丸が自賛するやうに、日本思想界の大家が綺羅星のやうに集まった。

 人類愛といっても、話の論点の一つは実は日本主義について。日本主義は人類愛の敵か味方かといったことを論じてゐる。

 浅野は日本精神や神ながらの道、日本主義といったものに懐疑的。「もつと極端に言へば日本民族の諸民族搾取の合理化の一つの思想とも極言することが出来るのぢやないか」、各国にそれぞれの精神があるだけのことで、「結局自己民族中心」だと指摘する。

 上司の説は日本神話の性格から突いてくる。上司曰く、高天原といふのは日本ではなく外国である。日本人は単一民族ではなく混合民族である。日本思想といふのは外来思想のことで、日本主義といふ独特のものはないのだといふ。

 「腑に落ちない」「どういふ意味か分らぬ」と不満を示す高須。日本主義は他を排斥するものでも攘夷でもないと主張。

 日本主義は人類愛を以て有ゆる人々を抱擁する、黒人白人の差別なしに、さういふやうなケチな差別を撤廃してしまふ。所謂人類平等といふ観念に立つてゐる。

 国際会議でも人種差別撤廃を提唱した。弱い者に手を差し伸べるといふ。

 日本精神や日本主義、神道を大いに高調するのは三浦関造

 人類の現在、明日は暗黒以外に何物もない。唯一つ人類愛を実現する原則と方法がある。この以外に何物もない。それは何であるか、日本主義であります。

  日本主義は従来の用語や論理では説明できない。なぜならそれは超人の認識だからだといふ。「超人の認識は平凡な人間に言ふても解らぬ」。

 高須は三浦と距離を取る。日本は古来朝鮮や支那からの帰化人を優遇し尊敬した。「決して超然主義ではない」「三浦氏のごとき日本主義者になることを好まない」。明治天皇の「四方の海」の御製を引用し、これも人類愛だといふ。

 石丸は、日本の歴史のすべてを肯定しようとすると矛盾し、悪いところもある。よいところをイデア、理想としてやっていくべきだと、創造の大切さを訴へる。

 同じく日本主義を唱へながら、高須が三浦を論難するのが印象的。

卒直に言へば、三浦氏は日本主義には共鳴して居られるけれども、甚だ失礼ではあるが、余り日本精神を御研究になつて居られないのではないかと思ふ。