変態的知識欲漢だった狩野獲麟

 『教導』は日本大学宗教学科教導会発行。創刊号は昭和9年4月発行。教導会は日本大学宗教学科の在学生と卒業生の連絡機関。大正6年の宗教科設立以降、自然に組織されたといふ。12年の関東大震災でなくなったものをこの度復活させた。会長は小松雄道。

 『教導』創刊号には講師の論説や校友(卒業生)の動静を載せる。校友の狩野獲麟は「学園より社会へ―その後の所感―」を寄せた。狩野は学生時代を振り返って、「神田の町を歩く時、素通り出来ないのは古本屋の前であつた」などと貪欲に知識を求めてゐたことをつづる。

 書店の前に来ると、まるで腰がぬけた様なものであつた。絶好の哲学書類を発見した時などは下宿屋の宿料を明日払はねば絶対に其の宿に居れないために苦面をして懐にしてゐた金を其のまゝポイと使つて終つた。宙を飛ぶ様にして宿の書斎に帰り宿料のことなど眼中に無い、かみつく様にして血走る眼を紙背に注ぎ読み明したものであつた。それは変態的知識欲漢であつた。

 家賃を払ふためのお金を本に使ってしまひ、目を血走らせて読書したといふ。宿料はその後どうしたのか、部屋を追ひ出されたのかは書いてない。その後も、乱読はしたが系統だった学問はせず、趣味もパッとしない。「デパートか雑貨店に行った様な自我分裂の醜体」と自嘲する。

 後半は講義題目や教授・講師、校友、在校生の名簿。関寛之の授業は宗教心理学及変態心理学。狩野の変態的といふのもこれに影響されたのだらう。宗教学科らしく、校友の肩書や住所のほかに(真言)とか(本派)とか宗派が書いてある。(神)は神道で、靖国神社の主典もゐる。変はったところでは(済世)といふのもあり、これは仏教済世軍のこと。新聞社勤務も多い。帝都日日新聞が2人ゐる。これは真宗信者だった野依秀市の関係だらう。

 狩野獲麟は大正12年度卒業生、71名のなかに名前がある。旧名は源治。長崎県出身で、深川仏教会館長、幼稚園長、中央産業学校長などとある。

 このやうに日本大学宗教学科が幅広い人材を輩出したことがわかる。

 

 

 

・『ジョーのグッドニュース』伊田チヨ子、KADOKAWA読む。1920年代のニューヨーク。新米の女性新聞記者、ジョーの活躍を描く漫画。帯文に「ニューヨークの陰影!」とあるけれど社会派の重苦しい内容ではない。明るくお転婆なジョーが事件に巻き込まれたりするコメディタッチ。取材はするけれど記事を書いてゐる様子はない。フォード社を連想させるフォルム社の社員として潜入し、機械的な労働に閉口する話は少し陰影があるかも。タイトルは「素晴らしき哉、労働!」。