下位春吉の話を覚えてゐた金川服三郎

 『須田町印刷工場報』は昭和14年5月発行の非売品。巻号はないが創刊号らしい。51ページ。須田町工場が優良工場として表彰されたことを記念して発行された。写真は看板、表彰状、26名の集合写真、工場体操の様子など。

 工場は衆議院議員、滝沢七郎の印刷工場としてつくられた。その父の著書、『瀧澤有徳遺稿』を印刷し、天覧の栄に浴した。

 小林正雄社長や社員らが、社の様子や働き方などを語ってゐる。

支配人の加室正義は、働く者を叱咤鞭励する。

意義ある人生を、有り難い生命を、自分勝手に区切りをつけて、俺はもう駄目だとかもうこの年になつてはと自ら限るのは謙遜の度を過して居る。一山登り尽したら更に又一山、白雲迢々として路は窮まらず「志」を高く「望」を大きく、一念発起する処に新しい生命の世界が闊然として開けてくる。

 安全委員長の篠原武志は、工場の神聖さを強調する。工場には神棚があった。

当須田町工場は社長の所有にして所有にあらず、全従業員のものなのだ、そして天地の神様のものである、一本の活字も亦一枚の洋紙も一個の造作も、全部が全部神様のものである。我がものに為す時は必ずや神様の罰を受ける、唯々神様が我等を信じて一時我等にお国の為、御皇室のお為に、活用せよとお借し下さつてゐるのである。 

 社員の金川服三郎は、自分は書くことが得意でないとか書くことが見つからないとか、16行にわたって苦悩ぶりをつづる。その後に書いてゐるのが、以前聞いた下位春吉の話。下位はイタリアやムッソリーニについて日本に紹介した、在野の人物。

 イタリアの少年団は右手を挙げて、「アノーイ」と言ふといふ。これは「我に権利と義務を与へよ」といふ意味。権利と義務とは全く別のものではない。清掃や交通整理なども単なる義務ではなく権利だと考へて、責任をもって担当する。人間には怠け心だけでなく、自発的に社会の役に立たうとする心もある。さういふ美点を生かすやうになりたいと抱負を述べてゐる。

 文筆の専門家ではないと言ひながら、以前聞いた下位の話の内容をよく覚えてゐて、自己の指針にしてゐることがよく伝はってくる。