源義経入満説を唱へた松室孝良

 無類に面白かった。『大陸秘境横断』は島田一男著、昭和47年4月発行。岩淵慶造装幀。島田は推理小説・探偵小説作家。その前に満洲日報記者として15年間勤務してゐた。

 本書は10章にわたり、島田が各地を探訪した取材行をもとにしたもの。ノンフィクション。多くは写真班の山口晴康との道中。本文の後に附記として後日談などを追加してゐる。満洲大自然や出来事が生き生きと描かれ、登場人物も多彩。当時の写真も多数。

 ある章は、日満連合猛獣狩り大会の様子。指揮者の一人は馬賊の辺見勇彦。誠文堂の小川菊松も参加してゐる。ある章では鏡泊湖に山田悌一らを訪ねる。山田は国士舘創設者の一人で、満洲で開拓に従事。子孫が繫栄し、一大観光地になる夢を島田に語る。ある章では甘粕正彦の勧めで、鉱山に砂金を採りに行く。ある章では天文学者と共に、皆既日食を記事にしようとする。

 ある章では熱河に向かふ。途中、松室孝良らと移動した。松室は特務機関長。実に穏やかな人だといふ。自動車内で、源義経の入満説を語ってゐる。満洲にやってきた義経が、日本の平泉にあやかって平泉(へいせん)と名付けたなどといふ。これには小林胖生が反論する。小林は考古学者で、丙午や娘々の研究者。

 遠泳の取材記事で、途中で海蛇が現れたと書いたところ、水産試験所の技師からライバル社に投書があった。その海域に絶対に海蛇はゐないといふ。でたらめだといふ。島田は真相を明らかにするため、試験所の調査船に乗り込む。水産試験所の技師と新聞記者、はたしてどちらの主張が正しいのか?

 またある時は、揚子江を遡上する掃海艇に同乗。そこには音羽正彦も乗艦してゐた。朝香宮鳩彦王の息子で、明治天皇の孫でもある。臣籍降下して、海軍軍人の道を歩んだ。戦死者も出る激戦を終へ、中国兵の探索を名目に、上陸してある施設を訪問した。

そこには戦時下とは思はれない光景が広がってゐた。

「――モダン桃源郷だな、ここは……」

 藤田画伯がひとりごとのようにつぶやいた。

 のちに文庫化されたが、この単行本は桃源社発行。