反共新聞だった東京新聞

 『新聞社 パッカードに乗った森の石松』尾崎宏次著、光文社発行、昭和30年3月25日発行。4月25日に8版発行。裏表紙の文章が長い。著者略歴ならぬ著者紹介文になってゐる。大正3年生まれ。昭和12年、都新聞社入社。文化部記者として演劇、映画、音楽、文芸などを担当した。改称した東京新聞時代を含め、17年間勤務して退社した。      

兄は秋田雨雀の娘、千代子と結婚した。

 副題は著者の記者生活での実感を表現したもの。パッカードは高級車、森の石松清水次郎長の子分とされる侠客。高級車に乗ってゐる新聞記者だが、実は親分子分の古い慣習の中で生活してゐる現状をいってゐる。

 書名が『新聞社』なので客観的に新聞社の歴史や経営方針などを論じたもののやうに思はれさうだが全く違ふ。著者が経験したり見聞したりした記者生活を回顧したもの。

 入社した都新聞は、花柳界などの軟派記事で有名だった。

第二次の口頭試問では、「酒はどのくらい飲むか。」「女を買ったことがあるか。」「吉原を知っているか。」などということをきかれるだろうと言われていたが、そんなことはなかった。

 実際は違ったが、遊び人が働いてゐるやうに思はれてゐる会社だった。

 戦後は社長の福田英助が追放され、息子で副社長の恭助が社を率いた。

かれは、滔々として、ロシアをにくむべき敵であると演説し、そして、われわれはあくまでアメリカと協力して国を守るのだと声を張った。

「反共新聞である!」

 全国の新聞がレッドパージを強行し、東京新聞社は8名を即日解雇した。喫茶店に呼び出され、辞表を書くやうに言はれる。第3章は、解雇された記者を応援する裁判闘争の記録。

 著者は劇や芝居を見て、劇評を書くのが主な仕事。取材相手をどのやうに書くか、書かれた役者たちからの反応など、両者の心理を描いてゆく。抗議されると、話し合って解決することもあった。

 ある文化部の記者は、自分の時間を削ってでも、毎日歌舞伎や劇や映画やプロ野球を見続ける。

記者にとっては、ほとんど自分の時間というものがないといってよかった。じぶんだけの時間がつくられるということに、むしろ、何か不安でも感じているのではないかと思われるくらいであった。

 新聞に心血を注ぎ、のめり込んだ群像も描かれる。