バートレットと神道問答をした田中尚房

 『佛教』能潤社発行、第11号は明治23年1月27日発行。表紙の目次では佛教、論説、評論、雑録、演説、投書、雑報となってゐる。雑報は宗教条例、各宗懇話會から始まって天才と早熟、愛知佛教會、目誌外数件まで記載がある。ところが中を開いてみると、愛知佛教會の次に5つの記事があって、目次では省略されてしまってゐた。ちなみに目次の「目誌」は「日誌」の誤記。

 省略されたのは開講、耶蘇教信徒の総数、外人我神道を聴く、附録につきて、清国通信、の5つ。「外人我神道を聴く」は長いものではないので、全文載せてみよう。

〇外人我神道を聴く 此程の事なりとか西京同志社の教師米人バートレット氏は北野神社に至り田中宮司に面会して恭しく一礼して偖て云ふよう余は日本神道の事を承りたく参りたるが苦しからずは大要を承りたしとのことに田中氏は殊勝の事に思ひ一通りはお答に及ぶべしとて両氏の間になしたる問答を聞くにバ氏曰く神道と申せば智者、学者、乞食、盗賊、忠臣、不孝者も悉く神に成りますか田中氏曰く成ります善ひ者は善ひ神になり悪ひ者は悪ひ神になりますバ氏曰く此北野の神社の神様は信する人々が祈る事を一々聞届けて之を諾否するの権力を自ら持てをりますか別に大なる神かあつて其権力を貰つたのてすか田中氏曰く外に大なる神か一個あつて其権力を授けたのてすバ氏曰く然らば何故に日本の信者は其大なる神に直接に祈らず態々迂路を取て取次の北野の神様に頼みますか田中氏曰く夫れは直接に頼んても宜しいのですが信者が謙遜して直接に本元の神様に願はずして取次の神様に願ふのてすと此問答にてバ氏も稍や会得したるか如く再会を期して立帰りたりと                            (東京新報)

 田中といふのは田中尚房のことだらう。同志社アメリカ人、バートレットから質問を受けた。「神道では智者、学者、忠臣だけでなく乞食、盗賊、不孝者も神様になりますか」。田中宮司は「なる。善い人は善い神に、悪い人は悪い神になる」と答へた。悪い神とは何なのか。悪魔とは違ふのか、などと更に掘り下げられず、別の質問に移った。「北野神社の神様が参拝者の祈願を受け入れたり却下したりする力は、その神自身のものなのか、それとも別のもっと偉い神様からもらったものなのか」。田中宮司は、北野神社の神様がもともと力を持ってゐたのではなく、ほかの神様から授けられたのだ、と答へた。北野神社の御祭神は菅原道真。優秀な学者とはいへ一人の人間。ほかの神様から特別な力を授かったといふことだらう。次の質問はなかなか鋭い。「ではなぜ日本の信者は回り道のやうにして北野神社の神様に祈願するのか。直接、本元の神様に頼めばいいではないか」。神様は一つで十分ではないか、といふ尤もな疑問だ。田中宮司は、「本元の神様に頼んでもいいが、信者のほうで謙遜して、北野神社の神様に祈願するのだ」といふ。さうなのだらうか。本当にバートレットが納得したのかわからないが、日本人同士ではできないやうな問答だ。

 この記事は雑誌の中の雑報。雑の中の雑。目次に載せてもらへず雑に扱はれるのは勿体ない。