柳田国男の本を読んだ山口良吾と良忠

 『われ判事の職にあり 山口良忠』山形道文著、佐賀市の出門堂発行。平成22年発行。肥前佐賀文庫の一冊。文庫といっても大きなサイズ。もとは昭和57年、文藝春秋発行。5版で絶版となってゐたのを、図版などを増補して復刊した。

 山口は昭和22年、ヤミ米を拒否して餓死した人物として報道され、大きな反響を呼んだ。著者は山口の生涯を丹念にたどり、家族や関係者らを取材してゐる。西部本社版と東京本社版で大きく違ふ最初の朝日新聞記事などを検証し、記者の分部照成にも当たってゐる。

 父の山口良吾は校長にもなった教育者で、佐嘉神社宮司佐賀県神社庁長などを務めた。地元の宮司を務めてゐた八坂神社では、境内に弥栄義塾を創立し、子弟の教育に当たった。良忠は父と共同したり代理を務めたりして補佐した。

 著者は、「熱心な天皇崇拝者」であった父は子に「一貫して決定的な影響を与えた」と記す。父は郷土史家でもあり、柳田国男とも交流があった。子の良忠もその著書を「かなり読んでいた」といふ。終戦の年発行の『先祖の話』について良忠が読んだかは不明だが、父や弟は読んで感銘を受けてゐる。

 この本では、良忠にまつはる報道被害誤報などについての検証に力を入れてゐる。学生時代、五・一五事件の黒岩勇と友人だと報道され憤慨。新聞社に抗議に行って謝罪させてゐる。ヤミ買ひの老婆を禁錮刑にしたといふ判決がいくつもの本に紹介されてゐるが、著者は事実ではないと突き止めてゐる。

 朝日新聞に掲載された良忠の病床日記についても、現存せず、夫人も知らなかったことなどから不審に思った著者は、記事を送稿した分部記者に「再尋問」。でっち上げも加筆もしなかったといふ回答を引き出してゐる。

 

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