林銑十郎「大部分がインチキだねえ」

 『孝子・林銑十郎』は鍋田勇吉著、光輪閣、昭和45年9月発行。光輪閣叢書6。縦長でビニール装。著者が直接体験したことを中心に、林銑十郎の姿を生き生きと描いた。70頁と分量は多くないが、どの逸話も公式には伝はらなさうな裏面史ばかりで面白い。

 林は名刺や郵便物を丁寧に分類、整理してゐた。秘書が百貨店の売り出し案内だからと思って渡さずにゐたところ、ちゃんと届けるやうにと注意された。林の弟の「うちの兄に適した仕事は図書館のカード整理係だろうな」といふ言葉からも、几帳面ぶりが知られてゐたことがわかる。ああいふ細かくて正確さの必要な仕事がお似合ひだと思はれてゐた。

 総理辞任後は日本精神を顕揚する日本国教大道社の社長に就任。長年の負債が発覚したが、肩代はりをする。そのくだりが清々しい。

 大道社の経営は苦しく、著者が入社して初仕事は『川合清丸全集』のセールスだった。のちの靖国神社宮司、鈴木孝雄も訪問。皮肉屋としての顔を伝へてゐる。

  林は各種の団体から会長や総裁に推戴された。

 

「このわしを、総裁だ、会長だといって担いでいる団体が、数えてみたら六十以上あるが、その大部分がインチキだねえ」

 

 だといひながら、インチキの中にホンモノがあるといって気にしなかった。

 ただ、

 

神道家が四、五名そろって将軍を訪ね「日本は神国だから、神道一本でゆくべきである、というわれわれの信念から、仏教やキリスト教を撲滅するため、神道興隆会を設立する計画だから、是非閣下が総裁になって戴きたい」と、滔々と弁じた。

 

 この時には引き受けずに追ひ返してゐる。何が気に入らなかったのか。林の名義の文章を代筆者が見せても、ほとんど修正しなかった。草津ハンセン病患者の施設、楽生園では入園者を励ました。

 著者は、林にはこのやうな寛仁な面と「越境将軍」と呼ばれた果断な面が同居してゐたのだと指摘する。