祝詞を暗誦できた渡辺美智雄

 


 

 『大物が育つ家』はミサワホーム総合研究所編集・発行。昭和60年12月発行。「副題が「大物50人の自伝的家屋論」。「子育てに一家言あり―③」ともあるが、これは「ミサワ・チャイルド・ブックス」といふシリーズがあり、その3冊目といふこと。

大物の基準と人選の意図は不明だが、各界の50人が自分の育った家や環境、子供のころの思ひ出などを語ってゐる。「はじめに」は社長の三澤千代治。

 

お寺や教会などの大きな伽藍の天井には、いろいろな絵が描かれてあります。曼荼羅の模様や龍の絵など、子供心に大きな影響力があることは容易に考えられます。

 

 

などと、幼時の環境が人間形成に大きな差が出るのではと思ひを巡らせてゐる。

 衆議院議員渡辺美智雄は「門前の小僧、習わぬ経を読む」と題されてゐる。渡辺は小さいころ、伯父の新太郎の家で暮らしてゐた。伯父は神職資格をもってゐた。

 

神社は持っていなかったものの、朝には、しばしば神棚の前で祝詞をあげていた。渡辺さんは、よく神棚の前の水を換えたうえ、一緒に神棚を拝んだ。

だから、小学生の頃には「高天原……で始まる祝詞のくだりを、そらで言えたよ」と渡辺さんは言う。

 

 渡辺は大祓詞を暗誦できたらしい。それを「習わぬ経」に例へてゐる。

 

 西川次郎は古河鉱業社長。祖父は宮内省で侍医を務めた西川義方。12畳ほどの応接間について語ってゐる。

 

その中は天井まで作り付けの書棚で本がびっしり。本といえば、おやじは応接間のとなりの書斎にいたのですが、ここも座る場所もないほど本の山、それに二階の六畳の間も書庫のようになっていましたね。

 

 と、大量の蔵書を語る。西川は兄弟が多く、その教育費は義方の著書、『内科診療の実際』の印税によって賄はれてゐたといふ。この本は昭和の初め、10年ほどの間、ベストセラーだったとある。

 なほ、作家の青木雨彦はこれと対照的に、うちの中には神棚と仏壇、タンス以外の家具もなく、その上「とにかく本が全くなかった」家だったと回顧してゐる。

 そのほか、食事はどの部屋で誰と摂ってゐたかといふことを多くの人が記録してゐる。最後の章は「子供部屋の思い出」で、三好京三戸川幸夫、森瑤子、中村メイコらが語ってゐるが、ほかの章でも子供部屋を語る人が多い。勉強部屋ともいひ、兄弟と共有したり、大人になった気分だといったりしてゐる。子供部屋反対論者もゐて、部屋にこもって良くないなどと論じてゐる。 

 

 

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