井上義光「教育勅語は宗教である」

 『教育勅語禅の鼓吹』は井上義光著、広島県忠海禅学会発行、昭和10年10月発行。序文は文部省督学官の近藤壽治、西晋一郎、紀平正美。

 自序で著書の意義を次のやうに述べる。

教育勅語を宗教と断定したる者は恐くはあるまじ。先人未発の態度と云ふべし。謂ふに世人の多くは宗教なる者を解せざるが如し。(略)教育勅語は乾坤独歩の大乗教であり、世界無類の一大教典なるを知る者未だ曽てあらず。

 人間は本来自由なものであり、学問と教養を身につければ釈迦にも孔子にもキリストにもなれる。教育界には教育勅語といふ完全な大宗教がある。宗教と教育勅語は別々のものではない、同じものだ。ただ、教育勅語は校長先生が読み上げるだけで、実行に乏しかった。その点、禅は机上の学問でない、武士にも影響を与へた、実行を伴ふものである。勅語の精神と禅の実行力を兼備すべきだと訴へる。

 勅語の語句を先に掲げ、その後に古今の出来事や仏教の逸話を引用して解説する。「忠良ノ臣民」のところでは、赤化した教員らを激しく非難する。

今囹圄にある者は転向に名をかりて刑の軽減を計り、再び潜行運動を続ける者なることを深く思はねばならん。かかる不忠不良悖戻猛悪漢は須らく絶滅を期せねばならん。不倶戴天の徒として截断すべきである。

 共産主義者は転向したからといって、許してはいけない。猛悪漢、不倶戴天の徒と指弾してゐる。「彼等が赤露を理想とするが如きは常識から欠けてをる」。

 

 

・『撃壌 「東海のドン」平井一家八代目・河澄政照の激烈生涯』は山平重樹著、徳間文庫、令和3年9月。豊橋出身で東海地方統一を志した男の実録任侠小説。終盤に杉田有窓子、花房東洋らとの交友を描く。解説も花房。