勅語の浄写をする花田仲之助

 『花田仲之助先生の生涯』は花田仲之助伝記刊行会発行の非売品。昭和33年10月発行。函。刊行会は東京の中村四郎方に置かれた。中村は東京報徳懇話会代表。

 花田は玄洋社社員らを組織して満洲義軍を起こしたことが知られるが、軍務を終へたのちの社会教化活動にも力を入れた。明治33年に結成したのが東亜報徳会。報徳は二宮尊徳のものが有名だが、花田のものは勅語の実践を主な目的とした別のもの。会の要領5つのうちの一つに「神明仏陀聖賢の教は勿論一切の道徳を講究すと雖も聖勅に悖れる教法は採用せず」と掲げた。これを発展させたものが報徳会、報徳塾。本書はこの運動を詳述してゐる。

 教育勅語を家庭や神社の神前で奉唱する意義について、花田が3つの理由を挙げて論じた。その一つ。

人に信念を与えるには、唯口先きで説くのみでは出来ない。自分の信念を固むるにも、唯書物を読んだり、人の話を聞いたりするだけでは効力が少ない。必ず特別の方法に依らねばならない。其れ故仏教に坐禅あり、念仏あり、儒教に静坐あり、キリスト教に祈禱があるわけである。此の意味に於て、吾々は神前にて勅語を奉唱して、国民道徳の信念を養うことは、我が国民として必然的、最良の方法たるべきを確信するものである。

 世界の宗教は信念を固めるために、形式にのっとって行動をする。神前奉唱は最も効力を発揮することができる、と自負してゐる。

 日誌も数年分掲載され、各地の講演や名士訪問の様子を伝へる。地元の鹿児島から東京に出張し、会の準備などに奔走。満洲では溥儀や首相にも会ってゐる。ほとんど行動の記録だが、なかには心情を書いたものもある。

午前朝食後机に向って勅語浄写に勉む四、五枚二種類認めて見たが、余り能く出来ず残念であるから、明日更に神心を凝らし浄写したい(略)

 若い時より文事を軽んじ、手習も師匠に就きて稽古せざりしを悔うると共に、詩作や詠歌も学ばざりし、故、老後の後悔甚多し。

 と、書き物に苦労してゐると弱音を吐いてゐる。作った漢詩二松学舎の山田準に訂正してもらってゐる。勅語は翌日の日記では「殆ど誤りないように書けるようになりたり」と精進してゐる。

 年譜も詳しい。「動物虐待防止宣伝のため『動物に対する同情」と題する小冊子を刊行、一般に無料頒布す」(明治39年10月15日)、「大逆事件国民総反省運動を開始す」(明治44年2月3日)、などとある。

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