西村真琴「児童の軍事熱は柿の渋味だ」

 11月発行の『神保町が好きだ!』第15号の特集は「子どもの本と神保町」。50ページオールカラーで子どもの本や雑誌を取り上げ、神田神保町近辺の出版社が大きな役割を果たしたことが語られてゐる。「子どもの本の聖地=神保町」をうたってゐる。実際は神田錦町神田小川町神田駿河台下などを含め、神保町界隈としてまとめてゐる。

 この冊子にはでてこなかったが、刀江書院も神田駿河台にあった。雑誌『児童』を毎月発行してゐた。

 2巻1号は昭和10年1月発行。表紙は横山隆一、カットは棟方志功、石川義夫、益子善六。「子供と軍事熱」といふ攻めた特集がある。6人が思ふところを記してゐる。どれも面白い。日本初のロボット、學天則を作ったことで知られる西村真琴も一文を寄せてゐる。

 児童の心理を察して更にそれを助長せしめたものは少年雑誌、幼年絵ばなしの類であつた。かくして子供は父母よりもよくタンクの形をゑがき、軍艦や飛行機の種類を承知する

 大阪の女子は国防婦人の姿にあこがれ始めてゐて、この傾向は全国に波及するだらうといふ。

 世界には非戦論者や平和主義者がゐる。それらを夢物語と否定するわけではないが、人類が生存競争を重ねて発達してきたことも忘れてはならない。そこで西村は、柿の味に例へて説明する。

児童の軍事熱といふものは恰度果実でいへば柿の渋味のやうなものである。まだ成熟の途中において渋味を必要とするが、その終りにおいて甘味ふくむに足るやうになるのと一般で、最初から、渋くない柿はなく、ありとすれば、種子が発芽能力をもち得ないまでに、虫や鳥に啄ばまれてしまう。初期に渋味の強い程、健全な発達を遂げて種子も熟達し、味も芳しいものとなるところに尊い暗示がある。

 大久保弘一は「児童と軍事知識」を寄せてゐる。大久保は二・二六事件で投降を呼びかける原稿を書いた陸軍省新聞班員。軍人の立場から児童の軍事知識を論じてゐる。

 児童の軍事熱といふものは昔からあり、外国にもある。子供なら皆、兵隊ごっこをする。最近は少年雑誌や新聞も軍事記事や新兵器物語を載せて読者の興味を煽る。

 ところが大久保は、これ以上の軍事知識は無用だとブレーキをかけてゐる。

今日の科学兵器は実に多種多様に亘り、而かも日進月歩である。故に軍人と雖も其方面の専門家でない限り、その全般に通暁するといふことは極めて困難な状態にある。

 かゝる物に対し、如何に興味本位とはいへ、過度の知識を付与するといふことは弊害が無きまでも先づ無益と謂はざるを得まい。(略)将来の為には更に正規の課程を履みたる基礎知識の上に立脚して、根本的に築き上げねばならぬ性質のものである。

 必要以上の軍事知識は無駄なので、年齢に見合った普通の学問をすべきだと助言する。なぜならば現代は総力戦で、軍事以外の分野が重要性を増してゐるから。

国民の全部が剣を持つて直接戦闘に参加するといふ訳ではない。凡そ戦争には国家国民の全力を挙げて当るのではあるが、それには各々持場々々があつて自己の本分と職務に応じて最大限の活躍をすればよいのである。即ち戦争に当る精神に於ては協力一致しても、働く形に於ては分業的である。

 小説や漫画についても論じられてゐる。続く。

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