「万世太平の碑」「教学興隆の碑」を建立した青木勘二

 『青木勘二』は奥付、発行所などの記載なし。「はじめに」には昭和49年3月15日。函。

 青木は明治8年3月生まれ、昭和45年7月没。福岡県黒土村の名村長として知られ、高松宮殿下のご台臨も仰いだ。本書は関係者や家族の追憶、自筆資料、年譜などを集めたもの。本文319ページで写真も12ページにわたり、さまざまな場面を収める。五男の青木営治は朝日新聞社員。

 元昭南神社宮司の中村春雄は思ひ出の中で「こんな偉い人は何百年に一人出るという昭和の聖人」と、郷土に尽くした事績を褒め称へてゐる。

 昭和3年4月、村長就任、20年10月、神社の御神木が突然倒れたのに感を得て退任。辞職を申請した文面も載ってゐる。

暴風再挙遂ニ村民崇敬セル神木ヲ倒覆シ且ツ 神門ヲ破壊シ今ヤ昔日ノ森厳全ク拝スルニ由ナキニ至レリ凡ソ 天ノサタマラサルハ人心ノ治マラサルニ在リ人心ノ治マラサルハ任ニ職ニ在ル者ノ器ナラサルニアル 神慮洵ニ畏ク恐懼措ク能ハサル也 

 多くの人が書き残すのは、「万世太平の碑」「教学興隆の碑」を建立したこと。昭和36年4月28日、86歳のときに「万世太平の碑」建立。碑文は「爲萬世開太平」、字は安岡正篤。高さ5・75メートル、幅1・36メートルと、高く聳える。建設地は大正9年、昭和天皇が皇太子時代に陸軍特別大演習のために足を踏まれた所縁の地。

 教学興隆の碑は昭和41年11月3日除幕。碑文は甘露寺受長明治神宮宮司。時に91歳。

 計画書や各地に送った手紙なども収められてゐる。

 昭和44年には憲法改定を佐藤栄作首相宛てに請願。「未来永劫全人類を至極の苦界に陥らしむる最悪法であります」

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