『天関打開期成会 会報』は巻号の記載なし、昭和17年12月18日の日付。10ページで各支部の修斎会、支部結成、会員倍加命令などを伝へる。
天関打開議員聯盟の結成を伝へる記事では「一挙貴衆両院議員十六名を抱擁した」といふ見出し。
12月15日までの加盟者を載せてゐる。
宮田光雄閣下
衆議院(加盟順)
満井佐吉(福岡)
沖蔵先生(福岡)
深沢豊太郎先生(静岡)
平野力三先生(山梨)
川島正次郎先生(千葉)
遠山暉男先生(埼玉)
菅又薫先生(栃木)
山口喜久一郎先生(和歌山)
長内健栄先生(青森)
村瀬武男先生(愛媛)
正木清先生(北海道)
伊藤三樹三先生(山口)
濱田尚友先生(鹿児島)
深沢吉平先生(北海道)
高見之通先生(富山)
彼らは「先見の明ある同憂議員の諸士」と期待されてゐる。
ここで堀幸雄『最新 右翼辞典』を引くと、天関打開議員連盟が立項されてゐて、12月2日に設立されたこと、12月18日現在の加入者の記載がある。貴族院の宮田のほかには以下の10人。
福岡県選出 沖蔵
広島 永山忠則
千葉 川島正次郎
山梨 平野力三
静岡 深沢豊太郎
埼玉 遠山暉雄
栃木 菅又薫
愛媛 村瀬武雄
和歌山 山口喜久一郎
辞典の遠山暉雄は会報の遠山暉男のほうが正しく、辞典の村瀬武雄も会報の村瀬武男の方が正しい。ほかにも違ふ点がいくつかある。辞典には永山忠則の名があるが、会報にはない。会報に名前があって、辞典にはないのが正木清、伊藤三樹三、濱田尚友、深沢吉平、高見之通の5人。
会報は15日現在、辞典は18日現在とあるが、そのためだらうか。辞典と会報では、会報の方が確かではなからうか。辞典では満井を含め総計12人、会報では総計16人。
正木清は社会大衆党から戦後は社会党で、衆議院副議長も務めた。平野力三と同じ転向組みとみられる。濱田尚友は元東京日日新聞記者の新人。満井と同じ17年組が主で、農民出身が多い印象。高見之通は大正6年初当選のベテラン。