『越佐社会事業』は新潟県社会課内務内中野財団発行。昭和10年12月号が第7巻第12号。この中に前司法大臣、小山松吉の「思想犯罪と方面委員」がある。思想犯人、いはゆる主義者がなぜ生まれるのかを論じたもの。理由にはさまざまあるが、その一つは貧窮であるといふ。
文化が進むとデパートなどといふものができてくる。これがいけない。
スペインの或る刑法学者は、デパートは犯罪発生の場所であるとまで極論してゐる。あそこへ行つて物を見ると買ひたくなる、買ひたくなるが金がないからどうかしなければならぬ、万引がデパートでよく行はれるのはさういふ原因であらうと思ふのであります。婦人の心を唆るやうな、買はねばならぬやうなものを並べて置くからして、それがためにつひ悪いことをするやうになる。
これと似たやうに、貧窮してゐる人が社会主義の本を読んだりすると、共感して主義者になる。貧窮してゐなければそもそも社会主義に興味を持たない。だから思想犯を生み出さないためには、貧しい者を助けることが必要だと論じる。
主義者になる人の傾向では、勉強ができて神経質な人がなりやすい。不勉強で体が丈夫な人はなりにくい。「ベースボールとか剣道などやるものは学問の出来ないのが多い」。
社会主義に関係するものは書物をよく読んで、頭のいゝものばかりである。一方いゝ方に向ければ優秀な国民になるべきものが、ちよつと道が外れて横へ行つたがために、極端なところまで進んで行くといふことになるのであります。
婦人の主義者の傾向も挙げる。「婦人の主義者は大概独身の人であります。婦人は大概女学校の卒業生である」「殊に婦人の主義者といふものには恐るべきものが時々出るのであります」。
相当に学問をした婦人の主義者に向つて、取調べをする役人の方から、「どうしてさういふ考へをお前は持つたのであるか、日本の婦人としてさういふ考へを持つべきではない」と云ふと、「私は日本の女ではございません。人類の女であります。世界的の女であります」斯う云つて答へる。斯うなると問答が出来ない、所謂箸にも棒にもかからない、日本人たる資格を必要としないといふところにまで女の考へが進んでをるのであります。
ほかに小川未明の和歌や相馬御風の随筆も載せる。須藤鮭川が「自嘲」と題して、15首の連作を寄せてゐる。すべて結句が「老いゆかんとす」で、読んでいくと居たたまれなくなってくる。
晩酌にすこしゑひつゝ世のことを憤りつゝ老いゆかんとす
一管の筆は執れども売文の徒たるに過ぎず老いゆかんとす