負け組新聞、大阪時事新報の研究

 『大阪時事新報の研究 「関西ジャーナリズム」と福澤精神』は松尾理也著、創元社、令和3年7月。

 大阪時事新報といふ新聞について、明治38年の創刊から昭和の終焉までを描いた研究書。帯に「商業的負け組」とあるやうに、勝つことなく、それでも浮沈を経て生き延びた大阪時事。そもそも部数至上主義ではない高級紙としての時事新報を、大阪に進出させようとした出発点から無理があった。

 なぜ無理だったのか、苦難をどのやうに乗り越えようとしたのかを跡付ける。著者は慶応出身、産経新聞大阪本社入社。もう発展しない、斜陽となった新聞だからこそ、「没落した新聞、失敗した新聞、消えていった新聞から学ぶ必要がある」と説く。

 メディアイベントとして先鞭をつけた汽車博について先見性を特筆し、地図や表がわかりやすい。下山京子らが敢行した化け込み記事の登場と衰退も分析する。

 第6章の「“二流紙”の日本主義」を面白く読んだ。一流紙とは大阪朝日や大阪毎日、三流紙とは低俗な新聞のこと。その間が二流紙。二流紙が生きる道として、軍部と協力したり政治団体、明倫会を好意的に取り上げたりするやうになる。テコ入れ要員として池崎忠孝、武藤貞一が迎へ入れられる。武藤の人気ぶりがうかがへる。HPにも天声人語の筆者として載せてほしい。明倫会は右翼なやうで右翼ではない何者か、のやうに取締り側にみられてゐた気がする。

 大阪時事の変転を読むなかで、他の大手紙の動きも知ることができる。全8章の第8章が「よみがえる大阪時事」。戦時中に他紙と統合してなくなった筈の大阪時事が、なぜ戦後によみがへったのか。産経の前田久吉が新聞用紙をめぐって活動するのが読みどころ。

 新聞の由来と著者の経歴が合致して、400頁を超える専門書だが引き込まれる。日本の主な新聞がなぜ大阪と東京の2社体制なのか、考へさせられる。

 人名索引が太い活字で、とても見やすい。

 以下は気が付いたところ。

91,93,94 常磐花壇→常盤花壇

179 鈴木貞実→鈴木貞美

203、204 元旦→元日

204 大正15年→昭和6年

221 性向を伝える→成功を伝える

221 2日→2日付

256 国民党を対手にせず→国民政府を対手とせず

256 夢にうなされる→熱にうかされる

263 憂い→憂え

286 うがった見方をするなら→疑いの目で見るなら

305 下り→条り