堀田善太郎「楠公がスポーツ訓練の宗祖だ」

  『密宝楠公遺訓書』は堀田善太郎編著、昭和7年11月、楠公研究会発行。堀田は元新聞記者。明治41年、奈良で老人から「楠公正行へ遺言の事」といふ写本を受け取った。腐敗堕落する現代社会を憂へてゐた堀田は、その内容を読んで大いに悟るところがあった。「最も優れたる国民読本」と信じ、刊行することにした。

 「遺訓の解説と敷衍」の章は20項目を費やして、現代社会にいかに有用かを解説する。楠公は「孔孟老荘諸聖賢に通じ、而も其諸説を渾化一統して之を体得した」。

 15項目目は「スポーツは日本を元祖とす」。

オリンピツクと云ひ、スポーツと云ひ、皆舶来のものだと速断する輩は、楠公がスポーツ訓練の宗祖だと云へば、斉しく微苦笑するでありませう。併しながら、真のスポーツは我が国に厳として存在し、而も世界に比類なき大和魂を練り固めしめたのであつて、断じて舶来の精神ではないのであります。 

 堀田は下位春吉と全国を行脚。下位がボーイスカウトの創始は白虎隊にあると語ってゐたこと、楠公を崇拝した乃木将軍がスカウトを閲兵したことなども織り込みながら、楠公精神とスポーツマンシップの共通性を論じる。

 16項目は「左翼と右翼と中庸道」。大量の刊行物の弊害と取り締まりを論じる。

相当の取締を実行しつゝあるとは云へ、多くは其内容の章句を削り或は其一部の抹殺を命ずる位にて、甚だしきに至つては、其間…、又は〇〇を挿入して発行せしめ、読者をして一層の好奇心を浚らしめるものさへあり、果して何の取締なるかを怪しまざるを得ないのであります。 

  部分的に伏字にしたり削除したりするのでは、かへって読者の好奇心をそそる。これでは取締りの意味がない。

 本や新聞は商業主義、センセーショナリズムで読者の興味を引くものが発行される。現代人はそれを丸のみに読書する。

咀嚼せず、玩味せずして之を丸呑みにするが故に、直ちに其中毒に陥り、食傷に罹り、遂に一身の帰趨を過るに至るのである。 

  古人は違った。もっと真剣に読書した。「疑問の存する所は、紅紙を張り、感銘の齎す所は、朱点を印し、之を師に質し、友に求めて自ら過らざらむことに努め」と、「冷静と謹厳とを以てした」。

 楠公は右傾も左傾もせず、公明な絶美絶大の人格者であった。学問には研究的態度をもってゐた。さういふ自己を確立することが読書には大切なのだといふ。

 特に新聞については、別に論じてゐる。新聞は社会の縮図である。その感化力は大きい。悪いことの影響も大きい。

醜事実悪行為を掲載するものゝ如き、その手段、その方法をも描写して、人の興味を唆るに至ては、更に一層の感化を齎らしつゝあるもの 

 新聞記事を模倣し、堕落するのは活動写真のやうなものだと警鐘を鳴らす。このやうな現代社会にこそ、「活眼を以て活書を読む態度」、楠公の教訓「天眼通を得る時は剛敵を破る」が必要なのだと説く。