平田勲を支へた「妙布」の渡辺輝綱

 稀書。『苦く懐しきわが青春』山木陋人著、平成3年2月。卒論のやうな簡易製本。56ページ。著者は昭和初期に思想検事と恐れられ、共産党の佐野、鍋山を転向させた平田勲の子息。父や家族の思ひ出話が興味深い。

親父は不思議な人物であり摑み所のない人物であった。ぞの経済感覚は〇であり、全くの経済オンチである。今の社会ではとても生きてゆける代物ではなかった。 

 金が要るときは「妙に金が必要である雰囲気」を醸し出して周囲が奔走せざるを得ない気持ちにさせた。平田を経済的に支へたのが養父の関係者、渡辺輝綱翁。松脂の膏薬として当時、大いに広告で売り出した「妙布」の開発者。工場の敷地は1000坪といふ。渡辺翁は身延で1年間静坐し、妙布の啓示を得た。妙布の妙は南無妙法蓮華経の妙。座禅と法華経の両輪が翁の真骨頂だと記す。

 平田の妻(著者の母)は男爵の娘。平田家には転向者や朝鮮籍中国籍の客や居候が絶えず、非常に苦労した。平田の死後、病弱だった長女も亡くし、憔悴した姿を書き残してゐる。著者自身も持病が悪化し視力を失ひ、懐古の日々を過ごしてゐるといふ。

 

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