『私の昭和史』の津久井龍雄の直感

  『私の昭和史』は津久井龍雄著、東京創元社、昭和33年4月発行。平易な文章で奥行きのあることを語り、現代でも読まれる価値がある。分量も多くなく、復刊や文庫化の対象にふさはしい。内田百閒の随筆を愛読し、色紙には「言簡意深」と書いたといふのもうなづける。序の一節が味はひ深い。

 

 多くの人の昭和史は、昭和の時代をただ乱暴で無茶苦茶な「狂った一頁」にすぎないというふうに描いている。たしかにそれに違いない面もあるが、併し歴史は継続性のあるものだから、やぶから棒に世の中が発狂状態におちこむとは考えられない。昭和時代が狂っていたとすれば、その症状のおこる原因は、その前の時代からあったのであり、後の時代にもその尾を曳くものであるにちがいない。

 

 本文は交遊録から転向問題、戦時体制のあれこれに及ぶ。津久井はこの書の中で、3回直感してゐる。

 一回目は関東大震災の際。

 

具体的に朝鮮人がどこでどんな乱暴をはたらいたのかというと、そういう事実はひとつもなかった。人々はただ噂を信じ、噂におどろいて、狂気のようにさわぎまわっていたのだった。

 私は、直感的に、これは単なる虚報にちがいないとおもい、そんなバカなことがあるものかと妻にも話したが、たけりくるっている人々の耳には入らなかった。私はみんなの狂態醜態にあきれ、日本人として実になさけないと痛嘆した。

 

 

 二回目は運動の進め方について。

 

合法運動のみで革新がおこなわれると考えたことはほとんどなかった。その点だけは、理論的というよりもむしろ直感的にそう思いこんでいたが、それというのも、私たちの考えの根底にマルクス主義の理論やロシア革命といったものが存在したからであると思われる。その点では、私たちもまたたしかに「危険思想」をもった「危険分子」にちがいなかった。

 

 三回目は二・二六事件に遭遇した際。

二・二六事件が勃発したときいて、内心いささか痛快味をおぼえないでもなかったが、少しその経過をみているうちに、これはとてもものにならないことを直感した。