富士山麓に皇居を造る田中清一

 『旬刊全貌』昭和34年3月1日号、通巻89号に「富士山麓に皇居を造る男」 (陛下にウンと儲けて戴くつもりじや!)の記事。

 その男とは田中製作所の田中清一。日本列島に高速道路を縦貫させる田中プランで注目を集めた。田中は富士山麓に皇居を造営し、陛下にお移りいただきたいのだといふ。記事ではその大構想が披露され、

 

「新しい国つくりなどと、大方、神がかり的な、異常精神の男にちがいない」

「彼の皇居造営案には、必らず、政治的な野心が含まれているにちがいない」

 

などの意見を払拭しようとする。

 大小の見出しを拾ふと「すべてヒューマニズムから」「非生産的なものは高原へ」「そこで凡人の質問をひとつ」「王者の勢威伸長に加えてソロバンも弾く(造営の目的)」「その地こそ天孫降臨の場所―朝倉文夫氏の新説―」「純洋式と純日本式の粹を凝らして……(様式はテンチコンゲン造り)」「〝貴方は汚れた人と逢った〟」「『陛下の安住所』を求めて十年」「岩をよじ、谷を渉り」「打明けられぬ恋を抱いて」「『道つくり』は手段」「ヒューマニズム・ランドの夢は何時?」。

 田中の還暦祝ひに胸像を作ったのが朝倉文夫。朝倉は田中の造営案を聞き、その場所は天孫降臨の地だといふ。「イソハラ、富士、古事記、日本書記、古事拾遺など六つの文献を調べてみて、どうしても、天孫降臨の場所にちがいない」。日本書記、古事拾遺は原文ママ。あと一つはなんだらう。