忠類村に神武天皇を祀った岡田新三郎とその姻族のこと

 『岡田新三郎日誌』は昭和35年3月、北海道広尾郡忠類村役場発行。非売品。岡田新三郎は文久3年5月、群馬県新田郡生まれ。号は蘇来。旧忠類村の開拓者。晩年は鍼灸御嶽教との関はりもある。昭和19年没。

 本書は明治27年6月から29年12月までの日誌。農事に関する記述が主で、事件や世相などで目を引くものはほとんどない。

 付録の一つに「丸山神社創立縁起」がある。これは明治27年6月、忠類村のチョマナイ山に神社を創建した記録。当時のチョマナイ山には奇怪なことが起こり、恐れられてゐた。

俄然全山崩壊セリト思ハルヽ大爆音ニ夢ヲ破ラレタル者アリト又怪物ヲ目撃セシ者アリ等奇談怪説頻リニ伝リ土人ハ元ヨリ内地人迄モ頗ル恐怖ノ念ヲ懐ク事甚シ

  これでは開拓の支障になると考へた岡田は、「山上ニ神社ヲ創設シテ畏怖ノ心ヲ転ジテ信頼ノ念ヲ喚発セシムルニ如カズ」と決心した。祭神は神武天皇とし、以降は山を恐れる人はゐなくなったといふ。

  岡田の経歴について、寺田真一といふ人が解説してゐる。これによれば岡田夫人の兄は小山豊太郎で、李鴻章を狙撃した人物。豊太郎の父の孝八郎は足尾銅山鉱毒事件で暴動の首謀者になった。岡田は法律を学んでゐたので、孝八郎のために帰京したことがあるといふ。

 寺田の解説では、豊太郎とは親友の間柄ながら、岡田が自由主義者で義兄の小山豊太郎が国粋論者だとして対照的に描かれてゐる。ところが岡田の日誌には豊太郎とそっくりな記述がある。豊太郎の主張は、日清戦争の講和は日本の下関ではなく、北京で「城下の誓」をさせろといふものだった。

 明治28年元日の岡田の日誌。

一日モ早ク奉天北京ヲ踏落シ、奴清ヲシテ城下ノ誓ヲ為サシメ、以テ地球上諸列国ノ自称文明国ノ誇大ナル鼻頭ヲ打折ラン

 と年頭に誓ひを立ててゐる。日誌には豊太郎についての記述はないが、2人は思想的にもさう違ひがあるやうには読み取れない。

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