萬朝報の社長就任の話があった尾津喜之助

 週刊サンケイ昭和28年3月15日号に、「新宿藪の中 駈出し記者の手帳 紙の弾丸乱れ飛ぶ山手界隈」といふ記事がある。記事名だけではわからないが、これは尾津喜之助と新聞にまつはるもの。

 尾津の竜宮マートが建築基準法違反だとして、山の手新聞(社長・小田ミツ、会長・小田天界)が問題にした。これに対抗し尾津側は「社会浄化運動同人会報」を発行。紙の戦争が勃発した。山の手新聞は部数が増加し、週5日刊行を毎日発行にするのだといふ。

  尾津は歴史ある萬朝報の社長に就任し、就任挨拶の葉書も印刷した。萬朝報は昭和15年になくなったとされてゐるが、実は戦後も発行されてゐた。しかし経営難で旬刊なので、尾津の力で日刊にするのだといふ。尾津と交渉した河野幸之助社長の談話もあり、確かに社長就任の話はあったが、尾津が人事・編集・経営の権利すべてを要求したため、立ち消えになったと言ってゐる。

 尾津の談話も取ってゐて、鍋山貞親主筆に迎へる予定だった。ところが勝手に挨拶の葉書を印刷したり、多額の現金を要求したりするので破談になった、河野は稀代の詐欺師だと憤慨してゐる。