救国血盟団団長兼日本無政府主義連盟執行委員長の訪問を受けた高岡幸雄

 

『新聞横町』は高岡幸雄著、六月社、昭和34年9月発行。高岡は明治39年、北海道釧路生まれ。早稲田大学卒業後、読売新聞入社。販売、事業、講演部に勤める。昭和25年産経新聞東京発行に際し、初代販売部長兼事業部長。27年、読売の大阪進出に際し復帰、販売次長。刊行時は総務部長。ラジオ高知テレビ取締役。

 細めの帯に賛辞が並ぶ。「この随筆は面白い」(今東光)「これは飛切面白い」(近藤日出造)「マスコミの五目飯だ」(高木健夫)。帯は中身を褒めるものだが、とてもストレートだ。帯の背に「11頁を立読すべし」と、立ち読みを勧めてゐるのが面白い。これを目にしたら思はず立ち読みしてしまふだらう。

 読売や産経での出来事を軽妙なタッチで綴る。「前科十二犯の善人」は読売に寄付をもらひにきた男の話。牧根嘉平(仮名)は背は低いが鋭い目、とがった鼻、長い顎髯、55、6歳。「文章はところどころ珍ぷんかんぷんだが、非常な達筆で書かれ、そして署名は救国血盟団々長」。かつての暗殺団を連想させる不気味さがあった。 

 翌日にも違ふ文書を持って現れた。

 とり出した長ったらしい印刷物をみると、その趣意書には無政府主義を提唱し、政府をどうするの、刑務所を廃止せよ…などいろいろと書かれ、無政府主義を実践に移すために同志を募りつつあるが何分の援助を請う…とあり、末尾には日本無政府主義連盟執行委員長(?)牧根嘉平と印刷されている。昨日の団長が今日は委員長である。極右と極左の二刀流にはいささか驚いた

  高岡が断ると、大人しく引き下がった。後日、恐喝で捕まったといふ記事が夕刊に載った。「そんな悪漢とは思われず、なんだか根が善人のような気がしてならなかった」。

 「尊氏公の御子孫」は足利惇氏京大教授の苦労話と、尊氏の回向料を寄付した池崎忠孝の話。「変らざるの記」は大阪読売本社玄関前にあった大銀杏のこと。白蛇が棲む祠があり参拝者もゐた。「それにしても読売新聞はどうも神様に御縁があって」…とある。

 高岡は琵琶の心得があり、社内には浪曲が得意な島倉芳之助がゐた。

 島倉さんはその昔、政治運動の一助にせんと自ら浪曲を志し頭山満、安藤正純、鳩山一郎正力松太郎の諸公に愛せられたが、のち務台さんによって読売の販売部へ転身し、郵送課長で停年になった。

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・『残心抄 祖父 三浦義一とその歌』。著者の三浦柳は三浦義一の孫にして萩原朔太郎の妹の孫。剣魂歌心と評される義一の歌心をこよなく愛惜するとともに、剣魂の部分には戸惑ひに揺れる。恐喝などの事件を起こした義一と、妻や娘を思ふ義一。身内ならではの思ひが描かれ、登場する女性たちが生き生きとしてゐ。家系図も詳しい。帯の「怪物」といふのは人寄せの惹句に思へる。