「山下清君的奇行」の片岡駿

 これは尤物。『全有連』第6号は片岡駿追悼号。発行年月日がないが、片岡の二年祭に合はせて作られたので昭和59年秋ごろか。後半の追悼集には26人が思ひ出を寄せる。

 片岡駿は明治37年6月、岡山・津山生まれ。昭和57年10月13日、78歳で没。神兵隊告り直し組、勤皇まことむすび、全有連で活動。『日本再建法案大綱』の著者として知られる。最期は壇上で憲法について論じながら倒れ、そのまま帰らぬ人になった。追悼では多くがその悲壮な姿を偲んだ。全国の同志を訪ね歩き、時には突然家を出て音信不通になることから、「山下清君的奇行」との評もある。

 中村武彦「心契五十年の回想」が質量ともに充実してゐる。戦後の片岡の全国行脚の理由について、師と仰いだ笠木良明の遺志を継いだからだといふ。

一たび挫折した日本と満州の理想を実現するには、もう政治家や官僚を相手にせず、無名の庶民大衆の中から盛上る新しいエネルギーに期待する外ない。そのためには全国を歩いて所在の同志と膝つき合せて語り合う。 

  笠木の遺芳録、『国士内田良平傳』、いづれも実質的に片岡が編纂した。『日本再建法案大綱』について中村は「日本思想史上において古典的価値を有する名著であり、維新を語る上で必読の経典である」と強調する。

 写真ページには「君子之交…」の直筆があり、一画一画端正な筆致から人柄がうかがはれる。

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