明治教の衛藤明光管長は大発明家?

 時事通信社の『読物時事』は『太平』の改題後継誌。昭和22年5月号・3巻4号には橘外男丸木砂土水谷準井上友一郎、室生犀星谷崎潤一郎らが並ぶ。式場隆三郎「入れ歯綺譚」は見開きの分量ながら筋立てもしっかりしてゐる。「帝京タイムズという新興新聞」の探偵小説好きの植字工と同社の新聞広告が出てくるが、これは東京タイムズがモデルだらう。
 新興宗教探訪記は璽宇教、天理本道、PL教団、明治教の4か所。明治教本庁は白金台町にあったが、記者には粗末な長屋にしか見えなかった。管長の衛藤明光は明治時代、明治天皇御製普及会を運営してゐた。明治天皇の病気が伝はると64人の祭官、300人の信徒で祈願を込めた。7月29日に翌日の崩御を予知したので二重橋前に行ったといふ。その後、国楽教、さらに明治教と改名し、昨年の信者は北海道から長崎まで7万9000人だったといふ。
 明治天皇の御製を教典とするが、御製のなかでも明治天皇が神であったときのものだけを教典にする。明治天皇が人間であったときの御製は外す。これに記者氏は冷笑的だ。

 こいつは便利がいい。戦争中は戦争むきのものをえらび、民主主義の時代には民主主義むきのものをえらべばいいわけだ。つごうの悪い歌は、こりやあ天皇が人間時代につくられたもんだから…と、いえば、弁解がつく。

 明治教では天地の間即高天原、人間即神で、心持次第で人間も神になれる。
 管長の衛藤は「岸博士などといつしよに霊研究をやつていた」ともあり、これは岸一太のことだらう。
 一方商売もやってゐて、明治42年に日本初の自動車製作所を芝田村町に造ったといふ。これは後に大資本の大倉喜八郎が始めたので立ち行かなくなった。ほかにも

「セロフアンを発明したのも私です。ビールの王冠ね…あれを日本で二番目につくつたのも私です。ラジウム浴場をはじめてつくつたのも私です」
 おお、彼はエジソンみたいな偉大な発明家でいらつしやる。

 とあるが、そんなに手広くできるものだらうか。