伊沢甲子麿の『日の丸坊ちゃん』は本家以上

 夏休みに『坊ちゃん』を読む人も多いだらう。新潮文庫では156刷。
 4月刊の『「坊ちゃん」の通信簿―明治の学校・現代の学校』(村木晃著、大修館書店)は『坊ちゃん』を題材にして、当時や現在の教育事情を描いたもの。教育制度や免許、学校行事など、煩雑になりやすいことも分かりやすく軽妙にまとめてゐる。バッタ事件の宿直と御真影奉護にも筆が及ぶ。漱石と同じ英語教師ではなく数学教師だったこと、一か月しか在職してゐなかったことなど、基本的なこともすっかり忘れてゐた。
 『坊ちゃん』もいいけれど『日の丸坊ちゃん』も評価したい。伊沢甲子麿著、東洋書房、昭和32年9月発行。国会図書館の所蔵は確認できず。書中では触れてゐないが、もとは雑誌に連載されてゐた筈。伊沢は憂国忌発起人で三島由紀夫についての文章も多い。
 「日の丸坊ちゃん」は主人公、生方伸一のあだ名。本家坊ちゃんと同じ数学教師。東京から東北の学校に赴任するところから話が始まる。

「テンノウヘイカ、バンザーイ!」
二唱すると、眼玉をパチパチさせているのが、よく解る。痛快! 痛快!
三唱するとドッと、罵声が飛んで来た。
「反動!」「帝国主義者!」「労働者の敵!」「右翼の手先だなっ!」
愉快愉快、顔を真赤にして怒鳴っている。だが、こっちに押し寄せる気配は無い。指導者らしいのがしきりに宥めている。
――ざまあみろっ!

 主な登場人物の紹介を読むだけでも楽しい。校長先生は白ひげなので白なまず。地元では共産党みたいなことを口走るので赤なまずといはれてゐる。先輩の数学教師は超右翼なのでヒットラー、英語教師で組合の闘士が赤いたち、社会教師で自称社会党左派が鎌いたち、同じく社会教師で真正共産党員がレーニンヒットラーレーニンも良い先生で、生徒にうんと人気があるらしい。
 赤い町の町長は「同志」を連発し、民主的教育方針や革命的行動実践を望むといふ「左翼気狂い」。しかし実際は「スタイル共産主義者」の食はせ者。
 主人公は下宿に特大の日の丸を掲げたことでヒットラーと意気投合。黒板に「反動天皇主義者を葬れ!」「帝国主義反革命的数学を学ぶな!」といたずら書きされても堂々と反論する。詩吟先生も味方に、喧嘩やカンニング騒動、卒業式での国旗国歌問題、自衛隊論争などに奮闘する。
 日の丸坊ちゃんは気風の良い江戸っ子。共産党が大嫌ひ。下宿おかみさんの台詞で

「そうですよ、敗戦からこっち、変に小理屈を捻繰り回す奴と、ウジウジした人間ばっかり増えちゃって……白いは白い、黒いは黒い、こう来なくっちゃァね」

下宿の親爺の発言に

「なあにね、共産党なら共産党で、はっきりしてりゃァいいんでさ。どっちにしたって、言いたいことを言い、やりたいことをやる奴は、喧嘩したって面白えや。……だがね、赤えんだか、白いんだか、桃色なんだか、さっぱり訳の解らねえ奴等が、多いんでね」

 がある。
 興味深いのはレーニンの描き方で、敵ながら一目おいて付き合ってゐる。しかし遂に組合をめぐって対立。

 日頃優しいレーニンが、こんなに怒ったのを見たことが無い。おれは益々レーニンが好きになった。だが、おれには、おれの考えがある。

 「向こう見ずで、オッチョコチョイな点は、残念ながら、『漱石坊ちゃん』以上である」といふ日の丸坊ちゃん。