2500年後に旅行した小田俊与の友人

 『詩集 覚えはない』(小田俊与著、太陽出版社、昭和28年3月)には、原水爆禁止を訴へる詩「覚えはない」がある。

貴方は、原爆を落すことの許可をいつ神から授かつたとおつしやるんですか?
貴方は、水爆で幾千万、幾億の生命を殺戮する権利を
いつ誰から受けられたのですか?
いつ人類議会の協賛を得られたのですか?

僕は、貴方に承諾を与えた覚えはない

 集中の異色が散文の「二千五百年後の世界」。著者の“友人”が2500年後の世界を旅行した様子を描いてゐる。その新世界は、天候調節局により春夏秋冬、人間に快適な環境が保たれてゐる。天然大気科学調節局により、人間は自由に飛翔することができる。乗り物は必要ない。食物は不要で、呼吸するだけでよい。病気は存在せず、現在は老衰防止の研究が盛んだ。子供たちは戦争とは何のことか知らない。
 保田與重郎は農に還る絶対平和を論じたが、この著者は発達した科学による平和世界の到来を信じた。序を武者小路実篤が書いてゐて、なるほど白樺派的な理想主義に通じるところがある。
 著者の小田俊与は、いはゆる泡沫候補として各地の選挙に出馬しては落選した。序詩の「わたしは信じている」からは、その理由と信念がうかがはれる。

また出た また出た また出た
ある人々は、わたしのことを狂人だと云つた
ある人々はマニヤだと称んだ
それでも わたしの志は変わらない
これから何度でも何十度でも
生きている限り戦うだろう

 主張や行動は激しいが、本人は「結構これで楽しいのだ/悉皆これで幸福そのものだ」ともいふ。長女には「うれし」、長男には「たのし」と名付けた。
 最後の「七つの故郷」は回顧録沖縄返還促進運動、選挙活動に触れるが、公職追放の理由と思はれる近衛文麿東条英機の本のことなど、戦時中の活動は書いてゐない。
 謝辞では印刷の加藤保・加藤文明社社長の名はあるのに、出版社の太陽出版社はなし。奥付に住所は神田神保町二ノ一九、発行者西村為次郎とある。裏表紙に太陽のマークがある。
 手元のものには大槻文平宛の署名がある。大槻はのちに日経連会長だが、刊行当時はどんなつながりか。