菊池義郎の八丈書房は買はなくてもよい

 『黒潮に吼える男』は上野登史郎著、三彩社、昭和47年8月発行。書名だけではわからないが、衆議院議員、菊池義郎をモデルにした小説。中では菊池太郎になってゐる。伊馬春部が解説を書いてゐる。
 表紙や紙が厚くて会話文も多く、中学生でも読めさう。波瀾万丈の人生の中に、早稲田関係者ら実在の人物が多数登場。人名索引もあり、菊池本人にも取材してゐる。
 菊池は八丈島出身で、学校の本棚で雑誌『冒険世界』を発見。源為朝の口絵のほかに、海賊貴族、キャプテン・ドレークを描いた押川春浪の文章があった。「筆者は固く信ず、わが大日本帝国の青少年がすべてドレークであることを——否、彼にまさる愛国者たらむことを!」。これがきっかけの一つになって、菊池は島抜けを敢行した。
 横浜で救世軍に助けられ、入学した夜間学校の講師が早稲田の学生。そのあとから大隈重信島村抱月、春浪らとの関はりができてくる。
 アルバイトで雑誌『内外画報』を訪問販売するくだりが興味深い。今調べてもみつからないので、誌名は脚色かもしれない。定価25銭で、10銭が販売員の報酬となる。ひょんなことで芸者が口添へをしてくれるやうになった。その口上がいい。

「写真入りで、日本や世界のことがいろいろ出てるの。いまどきの芸者衆は、世界のことにも通じていなくちゃ、お座敷がかからなくなりますよ……ええ、この雑誌には、わたしの知っている人が関係してるけど、でも、わたしは買ってくださいとお願いしてるんじゃないわ。お宅のためを思って、おすすめしているのよ……一冊? だめだめ。お宅の抱え妓みんなに読ませなくちゃ。そう、七冊、まとめて(略)」

 早稲田を中退し、大隈の秘書、冒険世界社での校正などの次に菊池が始めたのが本屋。本屋を見たことがないといふ父親から資金をもらひ、押川は「八丈書房」といふ看板の文字を書いてくれた。明治44年に小石川で開業したが、すぐにつぶれてしまふ。父に宛てた手紙を読んでも、その理由がわかる。

千駄木教会の救世軍のみなさんや、八丈屋、大隈邸の方々には、書籍も雑誌も無料にてさしあげております。場所がら、学生、生徒の客も多いのですが、高価なる参考書を買いかねる者には、“無理して買わずともよい、必要な部分だけを書きうつして行きたまえ”と申して、非常によろこばれております……」

 友人知人には無料であげる、高い本は書き写してよい。あとで版元から請求書がたくさんやってきて破産してしまふ。ハチャメチャだ。
 春浪との別れの場面も読ませる。病床で「わたしの一生はまことにむなしかった」と気弱になる春浪。そこで菊池は叫んだ。「先生、断じてそんなことは、ありません!」と、キャプテン・ドレークの文章を最初から最後まで暗誦してみせる。「菊池君。それは、わたしが十年以上もまえ、�冒険世界�に書いた�海賊貴族キャプテンドレーク�ではないか!」
 菊池はそこで初めて、春浪の文章を読んで上京してきたことを告白する。
この本では、佐々木照山、犬養毅中野正剛らと普選演説をしたあとは記述が駆け足に。戦後はアメリカの大統領候補を勝手に応援したことのみ詳しく描かれてゐる。
 手元のものには、8ページの冊子が挟まってゐて、本に書かれなかった活躍がうかがはれる。戦中は南方で独立運動を鼓舞、終戦直後はアメリカの対日賠償を踏み倒し、日本軍艦を貰ひ下げる。国会図書館建築やシベリア抑留にも関はってゐる。ぜひ続編を読みたかった。