暁烏敏「大砲でお勅語を打ち込まう」

 『臣民道を行く』(京都一生堂書店、昭和17年8月1日発行)は暁烏敏(あけがらす・はや)の著作の中でも特に戦時色が強い。函は簡素。
 暁烏は16年11月から12月にかけて連続講演を行ふ。それを記録したのがこの本で、途中に日米開戦を挟む。書名も講演をしながら考へた。
 主張は仏教と神道、国際主義と超国家主義が融合してゐて、戦時下の昂揚した気分が横溢してゐる。

事変の見透しとか言つてよく『改造』などの論文に十頁も書きますけれども、なんぼ書いたつてなるやうにしかならん。世の中の馬鹿な奴が一生懸命に読んで居るのです。書く奴は沢山書けば原稿代が儲かる。読んで居る奴は面白いから読んで居るのでせう。

 かういって時流便乗者を批判し、南無阿弥陀仏を唱へ、神意と天壌無窮の皇運を確信するのだといふ。
 神道研究家のメーソンと対談したときは、仏教徒は戦争をするかと聞かれた。その際も「仏教徒である私は、全力を籠めて、戦争に従事してゐるのであります」といふ。

私は人類愛に燃えてゐるから、戦争もするのである、殺生がしたくないから、涙を呑んで戦さをするのである、仏陀の慈悲は不動明王となり、焔の中に立って降魔の剣を振るはれるのです。日本の精神は天照皇大神の和魂であるが、荒魂となつて戦争に従事せられることもあるのであります。世界平和の理想があつて始めて、公明正大に、戦争が宣言せられるのであります。

 誰も戦争を好まない、平和は人類共通の願ひである。しかし戦争が起こるのは、神意の働きによる。

神意は人間を害する活動と人間を救ふ活動との両面に顕現して、そこにはげしい戦争を起し、その燃焼によつて人類の文化を新鮮にせられるのである。戦争は、神が人類を浄化せられるみそぎはらひの活動である(略)米英がむごたらしい敗北をしてゐるのも神意の顕現であり、我が国のめざましい勝利を得つつあるのも神意の活動であるのである。ルーズヴェルトチャーチルも決して無駄事をしてをるのでない。彼は破壊せらるべき人類のけがれを代表し、彼の敗れることによつて世に神意を明かにするために遣はされた神の御使であると思はしめられるのである。

 大東亜共栄圏といふ言葉はよろしくない、皇化圏といふべきだとする意見にも賛成する。

皇化圏は太平洋に限られてをるのでない、大東亜に限られてをるのでもない。皇化圏は地球全体である。

 大東亜では東アジアまでにしか皇化が及ばない。地球全体を皇化するためにはふさはしくないのだといふ。
 どんどんスケールが大きくなるけれども、まだ続く。
 世界を指導する根本理念は教育勅語である。これを全世界に広めなければならない。

勅語を飛行機で運んでいかう。お勅語を軍艦で運んでいかう。大砲でお勅語を打ち込まう。重爆でお勅語をひろめよう。筆によつてお勅語を明かにしよう。口によつてお勅語をひろめよう。行為によつてお勅語を輝かさう。

 この本、なぜか戦後の暁烏敏全集に収録されてゐない。



 ・井上寿一文藝春秋のエッセイで、父親がある右翼団体代表の人物を褒めてゐたと書いてゐる。明記してゐないが赤尾敏ではなからうか。えらい。