日本初の軍事宣伝研究者、小松孝彰

 続き。川越市長を告発した小松彰。市長の経歴はよく知られてゐるが自分のことは誰も知らないだらう、

全く自己宣伝のためではなく、自己防衛、自己主張のため絶対必要であるからであります。

 と自身の経歴を述べる。
 旧制松本高校では反戦運動家だったが検挙され転向。「当時の国家主義政治団体としては最高位」の、里見岸雄の研究所に通った。場所は京大近くで、京大で心理学の研究といふのもこのときのこと。研究所の「首位研究生」だったともあるが、里見と理論的に対決、直心道場の渋川善助に師事。二・二六事件に関与した。当時は小松孝彰といったらしいが、どちらが本名か。
 参謀本部の要望で春秋社から『近代戦とプロパガンダ』を処女出版し、「日本で始めての軍事宣伝研究者」として注目された。内閣情報委員会嘱託、陸パンを書いた清水盛明少佐のアシスタントも務めた。
  外国の軍事宣伝研究所の翻訳出版、ドイツとイタリアの壁新聞を集めて出版、台湾で防諜、中国戦線で空中宣伝などをしたが反戦運動で辞めさせられたとある。
 この本にはないが、海野十三と座談会にも出てゐるやうだ。

 信仰では「広い意味での日蓮主義者」、創価学会員を退散させたこともある。
 
 反戦運動から転向、京大出で脳髄とプロパガンダの研究をして元民社党でジャーナリストで日蓮主義者等々…、これを読んだ人の心証はどうだったらうか。