船口万寿「つまり歴史にお正月を作ることである」

 『船口萬壽傳』は岡本清一著、四季書房、昭和17年3月発行。刊行のことばによれば、四季書房は以前から「新しい伝記」を計画してゐた。「不幸にも世に出ることなくして埋れた天才や努力の人々」を掘り出して紹介するのだといふ。この書が第一作で、次いで宮沢賢治、蘇曼殊が予定された。

 岡本は船口と行動を共にした同志で、客観的な評伝ではない。岡本自身の回想や愛国運動観なども述べられてゐる。随筆風に重要事項を中心に描かれる。「書く人と書かれる人が渾然一体」になってゐる。

 前半は里見日本文化研究所における船口の姿を描く。船口は献身的に師に仕へ、師の著書も実際は船口が書いたものであったりした。岡本は船口について、非凡な才能を称賛するとともに、病気がちで、報ひられることも少ない環境の「忍従の生活」だったといふ。

 後半は、師と決別して西宮から東京に居を移してからの様子。同志たちとの申し合はせでは研究所時代と生活を転換した。収入は寄付などに拠らず労働する。なるべく有名になるのを避ける、先生と呼ばない、など。

 文明社の楠間亀楠も少し出てくる。「一寸面白い人物」で、船口はその事業に協力した。

 船口は左の大衆運動、右の少数精鋭主義のどちらも満足せず、独自の変革を志した。その際には「歴史的飛躍」「素晴らしき精神の飛躍」が必要。ここで例に出したのが正月である。

人類は長き生活体験を繰返す中に、何時しか年の始めを考案した。それが旧暦であつても、新暦によらうとも、ともかく一月一日の日を作つたのである。(略)十二月三十一日の夜が過ぎると、村も街もはじめて静寂にかへるのである。戸毎に雑煮の香りがする。国旗がはためく。 

  大晦日から元日になると心が転換し、精神の飛躍になる。このやうなことを人の力でやらうといふ。正月を作ることにより、国民精神を転換させる。

国民の心にこの歴史的転換を与へることが、維新である。つまり歴史にお正月を作ることである。この一瞬を作るか否かは、後の生活の姿を決定する。 

  実際の運動として考案したのが、改造断行上奏請願運動。署名を集め、請願令により改造を上奏する。明示しなかったが宮様内閣を計画し、田中智学、頭山満内田良平らの自筆ももらった。

 これが挫折し、東亜共同体論など船口の考へに反する動きが出てくる中、死去する。

 

 

・この前の金曜日のマンガ、裁判で弔問と聞こえたといふのを批判してゐたけれども聴聞といふのを誰も指摘しなかったのだらうか。