加藤瀧二川越市長を告発した小松彰

 民主党でも社民党でもない、民社党に勤務した著者の『民社育ちで、日本が好き』(寺井融、展転社)を読んだ。随筆集なのでどこからでも読める。民社党の歩みや詳しい経歴は前著を読む必要があるやうだ。
 人が党を作るのか、党が人を作るのか。先輩で、短期間だが民社党にゐた小松彰が書いたのが『川越市長加藤瀧二氏と対決 告発人の手記』(埼玉ジャーナル社、昭和45年5月)も読む。小松は民社新聞埼玉版を計画・発行し、「民社イデオロギーのPRに邁進」したが、支部長と衝突し脱党してしまふ。
 加藤市長らは給食センターの土地を買収する際、その持ち主の兄弟が精神分裂症で入院中で、責任能力がないにも関はらず行った。しかし市長らは、正当な代理人を立てたので問題ないと主張し、互ひに争った。本書には、その経緯が詳しく描かれてゐる。
 マスコミは反市長派の埼玉ジャーナル、週刊埼玉、羅針盤、日刊埼玉、市長派の日刊情報、躍進埼玉、武蔵新聞、県西新聞、東上沿線トップニュースに分かれて対立した。 
 小松は埼玉ジャーナル主幹。市長は答弁で「目に余る暴力新聞」「ああいうボロ新聞というのは何回も反復して読んでますと頭が変になるんじゃないか」と発言してゐる。市長派はマスコミも動員した。

 赤裸々な悪意にあふれた、煽動的記事を掲載させて、私達を非難、攻撃せしめました。広報も其他の新聞も、各戸の市民に配達され、街頭でまで撒布された許りか、新聞にまで折込まれ、全紙数は十五万枚位と推定される驚く可き数に上ったのであります。実に川越市政史上まれにみる大異変であり、全国でも類のない怪事でした。

 なぜ小松が市長を告発したかといふと、自身の奇妙な経歴に関係がある。小松は旧制松本高校卒業後、日大心理学部、京大心理学科で学んだ。松沢病院で「死体から採り上げた許りのまだ生々しい脳の解剖」など、三か月間脳髄の研究もしてゐる。西田哲学、和辻先生に学び、精神病理学犯罪心理学を独学したともある。

私が今度のこの事件に際して直感的に両兄弟に対して深い同情を抱き、同時に之らの人々の人権を擁護し福祉の完全を期せねばならぬと決意したのは、実にこの体験から反射的に生れた

 精神病だといふ兄弟とも面談して、複雑な話は不可能だと判定してゐる。
 小松の経歴では軍部や国家主義者との関はりも興味深い。明日に続く。