裸で本読む川田順

 涼しくなったので読書をするのがいいといはれるやうになったけれども、歌人川田順は夏の読書がいいといってゐる。

 逓信協会発行の『逓信協会雑誌』昭和27年7月号、第494号に「炎暑礼讃』を寄せてゐる。のっけから「私は夏が大好きだ」で始まる。女性の着るものが薄くなる。人間でたとへれば壮年の季節だ。生き物も生き生きとしてゐる。「裸は夏の魅力の最強なるものだ。人間は時々裸にならぬといけない」。

 七月の朝、まだ冷え冷えした畳の上に、猿股一つで臥ころんで、万葉集などを読む時の楽しさは格別だ。頭脳のしんまで涼しくなつて、難解の歌でもすらすらわかるやうな気がする。まさに裸身読書の賜物だ。

 古事記万葉集など日本の古典を読んでゐる。「あなかしこ国のたふとき古典(ふるぶみ)を朝から吾は裸にて読む」。暑い日に涼しさを感じながら読むのが好きなやうだ。クーラー派の渡部昇一と気が合っただらうか。川田自身は裸とか猿股一つで寝転んで読書するが、来客には正反対のことを言ふといふ。「古事記万葉集は日本の貴重な古典なのだから、おろそかに読むものではありませんなどと講釈する」。家では不行儀で胡坐をかいたり裸でゐたりする。読書の姿勢(心ではなく体の)もだらしないと自覚してゐる。飽きたら午睡をするのも夏の魅力の一つだといふ。

 ほかにも戸板康二の「MちやんHちやん―女性フアン気質―」、石黒敬七「応援演説」の随筆がある。

 石黒のは新潟知事選の応援演説に行ったときの話。式場隆三郎宮田重雄と3人だった。式場の一節がいい。

「厳密に云えば精神病患者は百人中に四人(?)の割合になっている。だから今日お集りの皆さんを仮に千五百人とすれば七十人のキチガイがお出での筈であるが、今日御出での方は政談演説でもきこうという方だから恐らく一人もおられまいと思う。おるとすれば私の後から出て皆さんに話をする筈の石黒、宮田両君などはいささかその傾向がないでもありません」

 現代からすれば炎上ものだけれども、当時としてはなかなか配慮されてゐる。聴衆がさうだとは言はず、身内を腐してゐる。しかもその傾向がないでもない、と曖昧にしてゐる。

 ほかの応援演説の思ひ出も述べてゐる。10年ほど前といふから、翼賛選挙のときだらうか。石黒の後に登壇したのは後備の陸軍中尉の男爵。御製を奉読し解説した。途中で大アクビをした老人がゐたので、中尉閣下が𠮟りつけた。石黒はこれでは応援演説ならぬ減票演説だと思った。