橋口浩二「わけのわからん人間はいっぱいおるじゃないの」

 『彷徨』は宮崎県立延岡西高等学校文芸部発行。第20号は昭和59年3月発行。本文38ページ。文芸部は部長の佐藤尚子を含めて6人。顧問は有村良平、工藤差規子。詩、俳句、短歌、読書感想文、創作、特別寄稿からなる。俳句と短歌は吟行でもしたのか2、30人が似たやうな句作をして、春の海や春雨ばかり詠んでゐる。

 「『憂える科学者同盟』の独り言」といふ詩を2年生の橋口浩二が書いてゐる。「あ さて 私は細川隆元でもなく 山川千枝子でもない もうすこしくわしく書くと 久米宏でもない」から始まる。テレビに出る人たちほどではないが、何か憂へることがあるらしい。

スポーツ選手が山ごもりすると 尊敬するくせに 

芸術家が物おもいにふけると 奇人あつかいをする

確かに我が校の文化部の実態は異様かもしれん

 運動部の部員はまともな一般市民で、文化部の部員は奇人変人の集まりだと思はれてゐる。確かにさういふ面があることを否定はしない。だがしかし、と続ける。

しかし よく考えれば運動部員にも一般市民にも

わけのわからん人間はいっぱいおるじゃないの

 なぜ文化部だけ偏見の目で見るのか。運動部にだってわけのわからん人間はゐるぢゃないか、と物申してゐる。筆者は文化部の中でも科学部の部員のやうに読める。

 創作に「白い記憶」がある。3年生の宮本拓による戦記物だ。時は1944年12月16日。ドイツ軍による猛反撃であるバルジの戦ひが行はれてゐた。米兵のリック・シュレーダー大尉は本隊とはぐれて山中をさまよってゐた。

通信部隊へ転属させられたばっかりに、気狂い総統最後のパーティに招待されるハメになってしまった。

 窮地の中に冴える小粋なアメリカン・ジョーク。期待して読み進める。

何が善で何が悪かは知らないがこの全世界的な大騒ぎにテキトーに参加し、生きて帰って、ワイフと坊主とオフクロにでっち上げの武勇伝を聞かせるためにここにいるのだ。

 寒さと疲労の中、気づくとシュレーダーは敵輸送部隊のど真ん中に迷ひ込んでしまってゐた。敵兵に見つかり、おとなしく投降しようとした彼の身に、突然事件が起こる。詳細は割愛するが、シュレーダー野戦病院に担ぎ込まれ、目を覚ました。軍医は運ばれる途中の彼が「青い光、光の矢」と言ってうなされてゐたと説明する。シュレーダーのもとには、事件のときに入手した包みが残されてゐた。そこにはパンとコンビーフしか入ってゐなかった。落胆するシュレーダー。しかしそれを手にした軍医は高らかに笑った。

「こりゃ一体何の冗談だ。全く近頃の大量生産システムときたら、ミスばっかりでなんとも…。」

 シュレーダーがコンビーフの缶をよく見ると、そこには工場のミスでなければあり得ないやうな製造年月日が刻印されてゐたのだった。

 この話は、シュレーダーが生還して、ワイフと坊主とオフクロと共に暮らしてゐるところで幕を閉ぢる。あの日の出来事は思ひ出さないやうにしてゐる。もしも戦地のことを聞かれたら、でたらめな武勇伝を披露したかもしれない。あの日の真相を知ってゐるのは、シュレーダー自身と読者だけだ。