高田豊樹「所謂散るべき時に散るといふことが必要である」

 野依秀市が唱へた米本土空襲。野依はそのため、空襲専用飛行機献納資金募集を企てた。『実業之世界』昭和18年7月号では諸家の絶賛として、永井柳太郎、藤山愛一郎、和田亀治らが賛同の声を寄せてゐる。頭山翁は「金を持たん奴も、持つた奴も、今こそ出し栄えのあるときぢや」、京成の後藤圀彦社長も「是非仕返しをする必要がある」と大乗り気だ。
 前月号には米本土空襲座談会が載ってゐる。出席者は陸軍中将・高田豊樹、大日本防空協会専務理事・陸軍中将・河村恭輔、防衛総司令部参謀・陸軍大佐・加藤義秀、航空試験所第二課長・航空局航空官・松浦四郎、東京市防衛局防務課長・西谷多喜夫、中島飛行機会社総務部長・田中正利、日飛協会飛行訓練操縦課長・古川篤、国際汽船重役・評論家・住田正一の8人。肩書は目次から。
 小見出しには「米本土空襲は必ず可能だ!」「やる以上徹底的にニューヨーク華府の全滅までやれ」「散るべき時に散る眞の大和魂と精神力へ」といふ文字が躍る。まるで現実無視の狂信的な好戦主義者だ。しかし、しっかりと記事を読むとちょっとをかしい。座談会での発言は、小見出しのイメージとは正反対の趣旨のことばかり。それを鮮やかな手腕で、人目を惹くやうに仕立ててゐる。
 「米本土空襲は必ず可能だ!」といふのは、高田の発言から採られてゐる。

(米本土空襲は)実現の可能は十分あると思ふがたゞ飛行機が五機や十機行つて米本土空襲をしても一時的にアメリカの人心を攪乱さして、ルーズベルトの人気を落すとかいふことで、要するに政治上の影響はあるかも知れませんが、軍事上に於ては大した効果はないと思ひます。(略)要するに日本の大作戦からいふと斯ういふ問題はなかなか行はれ悪いのではないか、寧ろ西太平洋に於て防衛を取るといふことが本当ではないかと思ふ。

 高田は、米本土空襲は確かに可能だが、そんな作戦はあまり意味がない。それよりも守りに徹すべきだと語ってゐる。それを小見出しでは「米本土空襲は必ず可能だ!」としてゐる。確かにさう発言してゐるが主旨ではないところを採り上げてゐる。
 「やる以上徹底的にニューヨーク華府の全滅までやれ」はどうか。華府はワシントンのこと。加藤は、

寧ろアメリカなどに対しては、いゝ加減な爆撃ならば今閣下の言はれたやうにやらぬ方が宜いと思ひます。若しこれが充分準備が出来て、ニューヨークでもワシントンでも引つ繰り返すといふことが出来る空襲ならばどんどんやつた方が宜いと思ふが、まづ一寸人を騒がす程度では却て害があるからやらぬ方が宜い。(略)要するにやる時には充分準備が出来てからやるべきだといふことで、私は防衛の立場から考へて居る。

 もし米本土空襲などしたら、アメリカの敵愾心に火をつけてしまって反撃をくらふ、きっぱりとやらない方がいいと言ってゐる。ただ仮定の話として、十分な準備があるならニューヨークでもワシントンでも攻撃すればいいといふ。勿論これは余談空想の尾鰭である。そこを敢へて採り上げて「やる以上徹底的にニューヨーク華府の全滅までやれ」としてゐる。座談会の勘所が理解できないのではない、わざとやってゐるとしか思へない。
 以上は作戦的、技術的な話だが、「散るべき時に散る眞の大和魂と精神力へ」といふ精神論の小見出しはどうか。これも見出しマジックといってよい。これは高田の発言から採ってゐる。

桜の花でも満開になつてから四日間はどんなことがあつても散らない。さうして人が十分に観賞して、サクランボといふ実をつける任務が終つてから一気に散る。それまでは散らないこの気分をよく味合つて貰ひたい敵陣に飛こんで死ぬといふことも結構ですが、もう少し粘り強いといふか、本当に責任を尽してから死ぬ。所謂散るべき時に散るといふことが必要である。

 やたらと攻撃ばかりするのは真の大和魂ではない。任務を果たすまでは決して死んではいけない。桜なら4日間は散ってはいけない。サクランボといふ実をつけることが達成できたら散ってもよい。作戦で、もしさういふことが無理なら「後退することも宜い」とまで言ってゐる。「散るべき時に散る」といふよりも、「散るべきでない時には散るな」といふ方に主眼を置いてゐる。
 座談会はこのやうに現実的な、消極的ともいへる雰囲気のものだった。野依の米本土空襲論と献納資金募集も、単純ではないと思はれる。