山岸敬明が作った八祥会

 「問答無用」と言って、犬養毅の命を奪ったとされる山岸宏。その後名前を敬明と改めた。戦後に輪タク会社を運営してゐたことは、宮本百合子の「ファシズムは生きている」に描かれてゐる。青空文庫で読むと、元皇族の賀陽恒憲が出資してゐて、山岸夫人が賀陽氏のいとこなのだといふ。
 輪タクといふのは人力車の自転車版のやうなもの。本来、互幸輪タク会社の名前で、通称宮様輪タクといふとのこと。
 『時の人』(有楽文庫、昭和25年4月・創刊号)にも、「輪タク会社で采配を振る人 5・15事件の記憶にのこる 山岸敬明の其の後」といふ記事が巻頭のp4〜p8に載ってゐる。
 こちらでは「同夫人が元閑院宮家の血筋を引く、高貴の出であるため、彼が同宮家と非常に近しい関係にある」とある。夫人は賀陽宮閑院宮、どちらの人なのだらう。
 山岸が戦後すぐに始めた事業は製塩業。

米一升塩一升の時代であつたから、わずか半年の間に、彼は二百万円の金を摑んでしまつた。ボロイといえば、これ程ボロイ話もないが、彼の思惑はみごとに的中したのである。

 其の後の新潟での開墾事業の次に携はったのが輪タク。新宿を縄張りにしてゐた、尾津喜之助の尾津組から、車5台を譲り受けてスタート。尾津が暴力団追放に遭ふ前に、全ての輪タク130台をもらって大々的に発展した。
 山岸はユスリやタカリが頻発してゐた輪タクの正常化・明朗化を推進。社内に「執務中雑談厳禁」と貼ったのは、彼が軍隊生活から学んだことだといふ。
 社名ははじめ大和輪タクといったが、のちに「互幸輪タク」に変へた。

彼がいま熱中している互幸精神運動に因んだものだが、この運動を、輪タクという仕事を通じて、具現しようという肚なのだ。これは一つの宗教運動だが、お互に幸福になりましようという主旨である。もつとも、その教義は、深奥を極め、凡俗には到底理解出来ない。彼自身も、これは儒教でもあり、仏教でもあり、神道でもあると、頭のこんがらがりそうな説明をしているから、恐らく本当にはわかつていないのだろう。しかしこのため八祥会という団体まで作つて、伊須受産巣日主皇太神という、ばかに長つたらしい名前の、宇宙の唯一神に、敬けんな祈りを捧げ、毎朝の出勤時には、社員一同を集めて、祝詞を斉唱する慣しだというから、その凝り方も大凡想像がつく。

 神道色が強さうな団体だ。ルビはないが、訓みはイスズムスヒヌシノスメオオカミか。

 宮本百合子は先の文中にかうも書いてゐる。

山岸宏の姉妹の一人は、中国への侵略戦争の当時、男装して軍と行動をともにして一冊の本をかきました。兄妹の情愛にファシストとしてながれる思想がつらぬかれていたわけです。

これは永田美那子嬢のことだらう。永田嬢が山岸ときょうだいだといふ噂があったならば、憲兵に拘束されたのもブロマイドだけが理由ではなかったのかもしれない。