高源重吉邸の弔問者たち

  『六十の味』(菅原通済、常盤山文庫出版部、昭和31年)の中に、高源重吉死去のことが載ってゐる。高源は新夕刊の社長。文中では「豪傑浪人」。

児玉誉士夫、吉田裕彦君等そのみちの豪傑が深夜なのに馳せつけたのは勿論だが、小林秀雄今日出海君等ものぐさ太郎の文士連が、奥様ともども見えられたのは、故人の徳というものだろう。
 林サンが、例のあけっぱなしに、
 「戦後俺が困ってるとき高源に会ったら、そのうち十万円ヤルという。あのときの十万円だから、まさかと思ってた。
 ある日高源が〝マーヂャンで敗けたから一万円貸してくれ〟というから、十万円くれる奴がおかしいなと思ってたら、九万円くれたよ、友人と四万五千円ずつわけて、早家族づれで温泉廻わりをやったが三千円シカ使えなかった。
 進駐軍の奴等の喰ってるものがうらやましいので、金のあるだけ買込み、砂糖なんか山のようにつんで、友達をよび、胸のわるくなるまでナメたよ。だから、高源に一万円貸しがあるんだアハヽヽヽヽ」
 と、ショッパイ笑いかたをした。

 金銭感覚が普通でないのか丼勘定なのか、ともかく。高源と林房雄は豪遊できる額を融通し合ふ中だったことが分かる。