ルーズベルト大統領の死期を言当てた上田霊光

 続き。目を引かれるのが、津末の信心深さ。牛込南蔵院歓喜天伏見稲荷、外宮、牛込の霊媒師竹内喜太郎を信じてゐた。少し詳しく触れられてゐるのは上田霊光。

昭和に入つて後は霊南坂に住んだ上田霊光という予言者を信じ、これは死にいたるまで信じて居つた。上田は大阪聯隊に入営中、隊内の紛失物や傷病兵など不思議に言い当てるので幹部に信用され重用された。その時の聯隊長林弥三吉がこれを東京に呼び寄せ諸方面へ紹介したのであるが、林銑十郎の娘の婿撰みの時、甲乙のない二人の候補者で決め兼ね上田に占わせると、理由を言わずニ週間待てという。十日後に一方が不慮の事故で急死したので俄然、高級軍人の間に信者が増加し、大戦に入ると参謀本部の秀才達が戦局の予想を求めに来る有様となつた。十九年の秋、ルーズベルト大統領の死期を言い当てたと言われ、いよいよ信者を増して行つた。林弥三吉の娘は津末の義弟安藤狂四郎の夫人である。妹の紹介で上田を知つた津末は自来最も熱心な上田信者の一人となつたのである。

 似たやうな人で、ルーズベルトを呪殺したといふ右近汎淡がゐたが、こちらの上田はかなり軍部にくひ込んでゐたやうだ。