三浦義一「野依は悪い人ではないけれども浅い」

『津末良介』(津末良介翁伝記編纂委員会、昭和27年1月)の津末は大分県出身の弁護士・代議士。委員長は中根貞彦で、編集の中心は御手洗辰雄。
 世に知られないのも道理で、「世間的には決して成功者とはいえない」(中根)、「公人として殆ど事業を残せない型の人であつたし、政治家としても一貫性を欠いた故に中道で落第」「お世辞にもいわゆる成功者とはいゝ難い」と散々に言はれてゐる。
 それ故にまとまった伝記ではなくあくまで追懐録として纏めるしかなかったのだけれども、かへってお手盛りでない追慕の情が偲ばれる。
 なかにある座談会の出席者は手島正治・御手洗・朝倉毎人・渡辺綱雄・辛島浅彦・綾部健太郎・生野団六・吉田茂・中根・後藤文夫・三浦義一・金光庸夫・津末宗一・津末圭二。吉田は内務官僚の方。
 三浦は、津末邸の鯰や、その隣の水産試験所の鯉を盗みに行ったことを述懐してゐる。また津末は世間的には人がいいと思はれてゐたけれども、

年をとつて国家社会主義を考えて居ました。それはやはり丁度戦争中のことでそれにはびつくりした。この親父さんはただ人が好い、ただ何でも親切にしてくれる人だと思つたらそうでない面があつた。

野依も知つているけれども浅いです。悪い人ではないけれども浅いです。だからそういう意味において又問題にならない。津末さんの親父は常に自らを語らなかつた。だからいい親父であつたと同時に僕は尊敬していた。

 珍しい三浦義一の野依秀市評。同じ大分出身だが、余り高評価ではない。三浦が評価したのは内田良平だった。津末は内田に似た性格だったさうで、その点から津末を評価してゐる。

内田良平とさんと似ている面があつた、これはみんな尻が抜けているのだ、この人がやはり善良な人だつたね。若し欠点があつたとすると自分の真価を知らなかつた。

 尻が抜けてゐるといふのはあまり見ない月旦だけれども、底なしだとかスケールが大きいといふことであらうか。