田辺宗英と市村清の談合

 続き。同書には後楽園スタヂアム社長の田辺宗英も出てくる。市村は昭和21年ごろ、銀座のキリンビヤホール跡地を買ひ取った。

 その取引が成立した直後、市村の事務所におかしな風体の数人の男が面会を求めてきた。何事だろうと会ってみると、田辺拳闘倶楽部の者だといい、妙なことを言いだした。
 ――田辺拳闘倶楽部の会長田辺宗英は、ここにあったキリンビヤホールの経営に参加していた者だ。借地権を持っているわれわれに一言のあいさつもなく、所有者の安田銀行と売買するのはけしからん。売り手の安田でも五万円出すといっているが、おまえも五万や六万はあいさつとして出すべきだろう。

 市村が断ると、直接田辺と談合することになった。

 田辺の口調が急にやわらいだ。
「あなたはこれから銀座の真ん中で商売を始めるのでしょう。今の世相では街の愚連隊ややくざのような者がやってきて、嫌がらせをしないとも限りませんよ。そういうときは私共が徹底的に阻止してあげましょう。そういう意味で何分のおつき合いをしてくれませんかね」
 ふむ、と市村はうなずいた。
 借地権をカタにどうしようというのなら折れるわけにいかないが、街の暴力団から守るというならこれは事業への協力だ。実際そんなこともあるに違いない。

 市村が10万円出すといって、田辺を驚かせてゐる。
 伝記では“真の侠客”と謳はれてゐた田辺だが、ここでは小者扱ひにされてゐる。

 ・田母神候補が公約にしてゐた「大江戸博物公園」構想、江戸の街を再現するといふけれど、本気度はどれくらゐだったのかな。